虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

死なれてしまうよりは・・・と思ったこと。

2013-03-19 11:57:00 | みちえの活動日記
私はうつだったころ、娘のことがよく見えてなくて、いっぱい我慢をさせてしまった。

これは中学生くらいになったころ、わかったことだけれど、「どうして言ってくれなかったのか?」と聞いたら、「だってかあちゃんが死んじゃうと思ったんだもん」という答えだった。

池田小学校の無差別殺人事件があった年、私はDrに聞いた。


娘が心配でたまらない。同い年なんです。

Drは、同じようなことがそうそうあるわけでもないので、心配しないように。

そう言った。

そうは思っても、生きた心地がしなかった。

6年生の時、滝川でいじめ自殺の事件が起きた。

この子もおない年だった。

小学校までは本当に楽しい時間を過ごしていた娘は、将来は人のために働くことがゆめだと語った。

中学校では、自分の意思を貫き、登校拒否をしたけれど、ある時、「死なれるよりは、いい。」「生きててくれたらそれでいい」「家が安心だとおもってくれるだけでいい」そんな風に感じるようになった。


人間関係の構築を考えるときに、私と娘の育ってきた環境は全く異なる。

けれど、疲れるなぁ・・・と思うところは似ているのかもしれない。

親子だから当たり前なのかもしれないし、人としての感覚が似ているのかもしれないが、「面倒くさい」と感じる部分は「集団じゃないと動けない人達」。


友人なんて、数人でいいんだと思う。

全ての人に合わせていたら辛くなるから、自分が一緒にいたい人といられればそれでいいと、私は思う。


いつもいつも、不甲斐ない母ちゃんではあるけれど、娘が私の娘でいてくれて、とっても嬉しい。
ありがとう。


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