私はうつだったころ、娘のことがよく見えてなくて、いっぱい我慢をさせてしまった。
これは中学生くらいになったころ、わかったことだけれど、「どうして言ってくれなかったのか?」と聞いたら、「だってかあちゃんが死んじゃうと思ったんだもん」という答えだった。
池田小学校の無差別殺人事件があった年、私はDrに聞いた。
娘が心配でたまらない。同い年なんです。
Drは、同じようなことがそうそうあるわけでもないので、心配しないように。
そう言った。
そうは思っても、生きた心地がしなかった。
6年生の時、滝川でいじめ自殺の事件が起きた。
この子もおない年だった。
小学校までは本当に楽しい時間を過ごしていた娘は、将来は人のために働くことがゆめだと語った。
中学校では、自分の意思を貫き、登校拒否をしたけれど、ある時、「死なれるよりは、いい。」「生きててくれたらそれでいい」「家が安心だとおもってくれるだけでいい」そんな風に感じるようになった。
人間関係の構築を考えるときに、私と娘の育ってきた環境は全く異なる。
けれど、疲れるなぁ・・・と思うところは似ているのかもしれない。
親子だから当たり前なのかもしれないし、人としての感覚が似ているのかもしれないが、「面倒くさい」と感じる部分は「集団じゃないと動けない人達」。
友人なんて、数人でいいんだと思う。
全ての人に合わせていたら辛くなるから、自分が一緒にいたい人といられればそれでいいと、私は思う。
いつもいつも、不甲斐ない母ちゃんではあるけれど、娘が私の娘でいてくれて、とっても嬉しい。
ありがとう。
これは中学生くらいになったころ、わかったことだけれど、「どうして言ってくれなかったのか?」と聞いたら、「だってかあちゃんが死んじゃうと思ったんだもん」という答えだった。
池田小学校の無差別殺人事件があった年、私はDrに聞いた。
娘が心配でたまらない。同い年なんです。
Drは、同じようなことがそうそうあるわけでもないので、心配しないように。
そう言った。
そうは思っても、生きた心地がしなかった。
6年生の時、滝川でいじめ自殺の事件が起きた。
この子もおない年だった。
小学校までは本当に楽しい時間を過ごしていた娘は、将来は人のために働くことがゆめだと語った。
中学校では、自分の意思を貫き、登校拒否をしたけれど、ある時、「死なれるよりは、いい。」「生きててくれたらそれでいい」「家が安心だとおもってくれるだけでいい」そんな風に感じるようになった。
人間関係の構築を考えるときに、私と娘の育ってきた環境は全く異なる。
けれど、疲れるなぁ・・・と思うところは似ているのかもしれない。
親子だから当たり前なのかもしれないし、人としての感覚が似ているのかもしれないが、「面倒くさい」と感じる部分は「集団じゃないと動けない人達」。
友人なんて、数人でいいんだと思う。
全ての人に合わせていたら辛くなるから、自分が一緒にいたい人といられればそれでいいと、私は思う。
いつもいつも、不甲斐ない母ちゃんではあるけれど、娘が私の娘でいてくれて、とっても嬉しい。
ありがとう。
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