虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

仙台行き

2012-01-14 18:27:38 | みちえの活動日記



夜中函館を出発じゃなくて青森到着。

目が覚めたらこの朝日だった。

きっとどこにいてもこのお日さまは毎日変わらないで上り、夜がふけるだろうと思う。

宮城に行くのだから、ほんの少しでも被災地の様子を知りたいと思った。

何もできるわけじゃないけれど、この目で確認することって大切だと思うからだった。

本当は石巻に訪ねたかったのだけれど、時間がなく途中で断念。


本来の目的を経て

帰りに、仙台空港あたりへ。

あの日大勢の人達が津波から逃れるために閖中(ゆりあげ中学校)を目指して走りました。

街の復興も大切なことです。

でもたくさんの人たちの命もここにある事を忘れないでほしい。

死んだら終わりですか?
生き残った私たちに出来ることを考えます。





津波のことは忘れても、亡くなった仲間のことは忘れないでほしい。

中学生の叫びでしょう。

後輩たちは、黒板に「3.11 卒業おめでとう」と書いていました。

門のところの時計は地震の起きた時間で止まっていました。3時前です。

グラウンドの時計は、多分津波が来た時間で止まっているのだと思います。

4時10分前でした。


その地域に入った時に、色はすべてグレーで、まるでモノクロの写真を見ているように感じました。

校舎の中は、泥だらけ。
たくさんの人の足跡。

生き延びた人の証。

近くのコンビニの人からは、すっかり様変わりしてしまって・・・と聴きました。

土台も流された家、土台だけ残っている家。

中身のない家。

なんとか修繕された神社、お寺。

集められた墓石たち。

そして、何でもなかった地域にひっそりと建てられた仮設住宅。

両側には、幸せそうに立っている家。

たまらないだろうなと、私は感じました。

それでも今を生きる。

そんなふうに私は感じてきました。

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