南の島で幼稚園の先生になろう!

帰国しました。日本で元気に職場復帰しています。

南の島の停電から考える

2007年10月17日 | ミクロネシアで思うこと
昨日は夜に停電になり、家族みんなが大慌てで懐中電灯を探し、ランプに火を灯しました。

そしてみんなランプに集まって、話をし始めました。

夜は暗いと少し怖くて寂しい、でも明かりがあることでほっとすることができる。

電気がある生活って本当に便利だし、電気とは経済発展の象徴のように思える。

でも電気があればあるほど、物があふれ豊かになればなるほど、経済が発展すればするほど、人は人とのかかわりをわずらわしく思ってしまうのではないか?と。

つまり電気がたくさんある生活を続ければ続けるほど、人は集い語り合う機会が減り、どんどん一人ひとり気ままな?生活に走ってしまうような。

停電して電気がないと南の島の人が大好きなカツドウ(映画のことを昔の活動写真の言葉生きていてKATUDOUとこの島では言います)も見ることができないし、それぞれが好きな場所で電気をつけて暮らすこともできない。そして暗くて怖いという不安から逃れるために、明かりのある場所に集まろうとする。

電気って人が快適に生活するために作られ人が闇夜の不安から逃れられるものなのに、逆に電気があればあるほど、人の心にとっては、寂しい夜になってしまうような。

南の島より発展した日本では24時間電気が煌々とつき、人々がそれぞれ違った暮らしや価値観で暮らすことが当たり前になっている。

もちろん、それが経済発展の象徴であるのだけど。

快適な生活を人間は求める、その代わりに人は大事な人と人が集い語り合うという行為を置き去りにしてしまっているような気がします。

どこで妥協点を見出すことができるのか?妥協点を見出せずにどんどん便利な生活に走るのか?

この島の停電を通して考えました。答えは見つからないかもしれないけど。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (みのり)
2007-10-17 21:25:53
ちょっと、昔の生活に戻ってみるのもいいですね 電気のある生活になれちゃったカラしょうがないけど、電気が人々ぉバラバラにしてると思うとなんか寂しくなりますよね。。。   
ポンペイで大きな地震トカ、洪水トカあったんですか???

P.S.
私達が行った海外研修の正式名称ゎ、『少年少女自然体験交流事業・ミクロネシア諸島自然体験』だったカナって、しぃチャンが言ってました 
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Unknown (hiro)
2007-10-17 22:24:12
正式名教えてくれてありがとう。

停電は日常的に起こります。一昨日も夜中はずっと停電でしたよ。

でも昼間だったり、夜中だったりで生活には支障ないです。

災害はこの島では皆無です。
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