どうやら彼は、寝(ね)ている間に寝言(ねごと)を言ってしまったようだ。それも、女性の名前(なまえ)を――。
そのせいか、彼の妻(つま)は朝からご機嫌(きげん)ななめのようだ。彼は妻をなだめるように、
「ごめん、悪(わる)かったよ。でもね、寝言だから…。そんな女性(ひと)、ほんとに知らないんだ」
妻は不満(ふまん)そうに、「でも、その女性(ひと)の夢(ゆめ)を見たんでしょ? あたしじゃなくて…」
「だから、どんな夢を見たかなんて覚(おぼ)えてなよ。それに、僕(ぼく)が愛(あい)してるのは君(きみ)だけだ」
妻は、愛していると言われて満足(まんぞく)したのか、
「分かったわ。許(ゆる)してあげる。その代わり、あたし欲(ほ)しいものがあるのよねぇ」
「いいよ。でも、あんまり無駄遣(むだつか)いするなよ」
「大丈夫(だいじょうぶ)よ、心配(しんぱい)しなくても。これでもあたし、やりくり上手(じょうず)なんだから」
妻は上機嫌(じょうきげん)で朝食の支度(したく)を始めた。彼はそんな彼女を見ながら呟(つぶや)いた。
「ほんと、単純(たんじゅん)だよなぁ。ばれるかと思ったけど…」
妻は包丁(ほうちょう)を持ちながら呟いた。「ほんと単純。あたしが気づかないわけないでしょ」
妻はまな板(いた)の上のネギを包丁でぶった切った。
彼が出かけるとき、妻は、「ねぇ、今日は早く帰って来られるの?」
「ああ、今日は…。取引先(とりひきさき)へ行かないと行けないから、遅(おそ)くなると思うよ」
「そう。じゃぁ、気をつけてね。行ってらっしゃい」
<つぶやき>妻の勘(かん)は鋭(するど)いです。この後、どうなっちゃうのか…。浮気現場(うわきげんば)に現れるかも。
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「お前、彼女できたんだってなぁ」先輩(せんぱい)が僕(ぼく)の顔を見るなり言った。僕は、
「いや、まだ彼女なんかじゃ…。ちょっといいかなぁって思っただけで…」
「告白(こくはく)してないのか? でも、好きなんだろ。だったら、いいこと教えてやるよ。告白するときは、さり気(げ)なく抱(だ)きよせて、彼女の耳元(みみもと)でささやくんだ。〈好(す)きです〉って」
「そ、そんなのムリですよ。いきなり抱きついたりしたら…」
「だから、さり気なくだよ。彼女に抱かれてると思わせないようにして…」
「意味(いみ)が分かりません。どうするんですか? どうやればいいのかまったく――」
「そんなことは、自分で考(かんが)えろよ」
「でも、彼女とはまだ親(した)しくなったわけでもないし…。いきなりそんなことしたら嫌(きら)われますよ。それに、彼女、格闘技(かくとうぎ)にはまってるみたいで…。噂(うわさ)では、めちゃくちゃ強(つよ)いらしいんです。僕なんか、一発でダウンですから…」
「そりゃすごい。だったら、告白するときは連絡(れんらく)してくれ。講学(こうがく)のために見ておきたい」
「冗談(じょうだん)は止めてくださいよ。僕は、しませんからね。そんなこと…」
「なんだぁ、つまんねぇヤツだなぁ。そんなんだから彼女できないんだぞ。だったら、俺(おれ)に任(まか)せろよ。その彼女と付き合えるように段取(だんど)りしてやるよ。で、誰(だれ)なんだ彼女って?」
「そ、それは…、ちょっと…。でも、大丈夫(だいじょうぶ)です。自分で、やりますから…」
<つぶやき>もしこの先輩に頼(たの)んだら、どうなってしまうのか…。ちょっと不安(ふあん)ですよね。
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〈嫌(きら)いじゃない〉っていうのが、彼の口癖(くちぐせ)だ。たぶんテレビに出てた人が言っていて、それを格好(かっこ)いいと思ったんだろうけど、ことあるごとに連発(れんぱつ)してくる。
例(たと)えば、何かを初(はじ)めて食べたとき。〈これ、嫌いじゃないなぁ〉
買い物のとき、彼に「これ、どうかな?」って訊(き)いたとき。〈まぁ、嫌いじゃないけど…〉
それは、どっちなんだい? あたしは訊き返したくなるのをグッとこらえた。こっちは真剣(しんけん)に訊いてるのに、気に入ったのか、気に入らないのか、はっきりしてよ。
あたしは唐突(とうとつ)に訊いてみた。「あたしのことは? どう思ってるの?」
彼は迷(まよ)うことなく言ってのける。〈もちろん、嫌いじゃないよ〉
これって、何なのよ。そういえば…、彼から好きだって言われたことあったかしら? そもそも、何で彼とつき合い始めたのか…。あたしは、彼の顔をまじまじと見つめた。
彼は、そんなあたしを見て訊いてくる。「なに? どうしたんだよ」
あたしは思わず呟(つぶや)いた。「あたしたちって、恋人同士(こいびとどうし)なのかなぁ?」
彼は一瞬(いっしゅん)かたまった。あたしは真顔(まがお)で訊いてみた。「あたし、あなたから付き合おうって言われたことないよね。好きだって告白(こくはく)されたことも……」
「なに言ってんだよ。あるだろ。忘(わす)れちゃったのか? 初めてデートに誘(さそ)ったとき…」
「ああ…、そんなこと…あったようなぁ? もう、記憶(きおく)の彼方(かなた)に行っちゃってるわよ」
<つぶやき>自分の気持ちはちゃんと伝え続けないといけません。見つめるだけでは…。
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川相初音(かわいはつね)と水木涼(みずきりょう)は公園(こうえん)を出ると、住宅街(じゅうたくがい)を抜(ぬ)けて駅前(えきまえ)の方へ向かった。まだ早い時間なので、外を歩いている人は少なかった。初音は歩きながら、辺(あた)りをキョロキョロと見回(みまわ)していた。涼は、そんな彼女を見て言った。
「ねぇ、さっきから何してるのよ。まさか、道に迷(まよ)ったんじゃ――」
「違(ちが)うわよ。目印(めじるし)を探(さが)してるの。きっとどこかに…」
初音が急(きゅう)に立ち止まった。ビルとビルの間(あいだ)の細(ほそ)い隙間(すきま)、その中に――。初音は、人の目がないことを確認(かくにん)すると、涼の腕(うで)をつかんでその隙間へ飛(と)び込んだ。涼はビルの壁(かべ)にぶつかりそうになるのを必死(ひっし)に回避(かいひ)した。初音が立ち止まると、涼は、
「もう、危(あぶ)ないでしょ。壁にぶつかるところだったじゃない」
初音は下に置(お)かれていたピンクウサギの縫(ぬ)いぐるみを拾(ひろ)い上げると呟(つぶや)いた。
「もう、センスなさすぎ…。そう思わない?」
涼はわけが分からないまま、相(あい)づちを打った。初音は、また涼の腕をつかんでビルの壁に向かって突(つ)き進(すす)んだ。涼は、思わず目を閉じた。
涼が目を開けると、そこは真っ白な壁の通路(つうろ)になっていた。それがどこまでも続いていて、突き当(あ)たりがまったく見えない。涼が呆然(ぼうぜん)としていると、初音が言った。
「ようこそ。ここがあたしたちの秘密(ひみつ)の場所(ばしょ)よ。さぁ、行きましょ」
<つぶやき>いつの間にこんなものを…。きっと、いろんな人がサポートしているのかも?
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「やっと完成(かんせい)したのね。あなたは世界一(せかいいち)の科学者(かがくしゃ)よ。これで、あたし、若返(わかがえ)ることが…」
女は老(ろう)科学者に抱(だ)きつくと接吻(せっぷん)した。老科学者は女を振り解(ほど)くと、机(つくえ)の上のビーカーを示(しめ)して、「これを飲(の)み干(ほ)すんじゃ。そうすれば…。ハハハハ…」
大きなビーカーに入っていたのは、どろっと白濁(はくだく)した液体(えきたい)。女はそれを見つめながら、
「こんなに…。これを飲むと…、どうなるの? あたし、どこまで若くなれるの?」
老科学者はおもむろに口を開いた。「これを飲むと、身体(からだ)の変態(へんたい)が始まるんじゃ。身体が縮(ちぢ)まっていき、これくらいの球体(きゅうたい)になる。それを、海水(かいすい)の入った水槽(すいそう)へ移(うつ)すと――」
「ちょ、ちょっと待(ま)って。それって…、人間(にんげん)じゃなくなるってことなの?」
「まだ説明(せつめい)は終(お)わっとらん。最後(さいご)まで聞くんじゃ。その球体が底(そこ)に定着(ていちゃく)すると、成長(せいちょう)が始まるんじゃ。まず、上に伸(の)びていき、いくつもの亀裂(きれつ)が横(よこ)に入っていく。そして、上の部分(ぶぶん)から触手(しょくしゅ)が出てくると、1枚ずつはがれるように海中(かいちゅう)をただよい始める」
「なにそれ? それって、完全(かんぜん)に人間じゃないわよね。あたしは、どうなっちゃうの?」
「何を言っとるんじゃ。これが、若返りのサイクルじゃ。若返りたいんじゃろ?」
「そうだけど…。人間の…このままの姿(すがた)じゃなきゃダメでしょ。それが、人間になるの?」
「バカなことを…。これは、クラゲじゃ。きっと、可愛(かわい)いクラゲに変態できるはずじゃ」
<つぶやき>これは無理(むり)。こんなの絶対(ぜったい)にイヤだからね。クラゲは嫌(きら)いじゃないけど…。
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