今はライラックが満開で、町中に香りが漂っている。
「ライラック」という言葉は昔から聞き覚えがあるけれど、私は20歳すぎるまで見る機会がなかった。
生まれて初めてライラックの花を見たのはソウルに住んでいた時。
梨花女子大の構内を散歩していた時に薄紫色の花が見事に咲いているのを見て、新潟から来た友だちが「ライラックだ!懐かしい!」と喜んでいた。北海道の人も懐かしいと言っていたので南限があるのかもしれない。
花は藤色、赤紫など白から紫系統のバリエーションがたくさんあり、コーン状の花が穂のように風に揺れる姿が美しい。
これは白い花。
公園の風車の横に茂みがある。
前回書いたプラスチック税の話の続きを…
今日は「530」で「ゴミゼロ」の日なのだそうで、無駄なゴミが出ないように自分のタンブラーを持ち歩きましょう!というような呼びかけをソーシャルメディアでちらほらと見かける。
どうしてスウェーデン民主党がビニール袋税廃止のために一生懸命になっているんだろう…とちょっと不思議に感じていたのだけれど、あの後ネットで日本のニュース番組を見ていたらそのてがかりになりそうなものを見つけた。もうその番組は時間が経ってネットには残っていないようなのでちょっとうろ覚えになるけれど、以下のような内容。
それは、少子化対策大臣に大学生が政府の少子化対策案に関して今の若い世代の苦しい経済状態を具体的に揚げ、「これでは対策にならない」と指摘して大臣を返答につまらせた、という話題をとりあげていたもので、それ自体はプラごみとは関係ないのだが、それに関連してその番組が「ゴミ袋を買うお金もないのに! SDGsとかいってレジ袋を有料化ってどういうことなんだろう」という声をとりあげていた。「SDGsには一生懸命で、私たちの生活のことは誰も興味がないの?」という疎外感というべきか。
それはスウェーデンにもきれいに当てはまる。「私たちの生活がどんどん苦しくなっている時にどうしてバイオ燃料を混ぜた高いガソリンを買わなければいけないのか/どうして高いレジ袋を買わなければいけないのか/どうして難民を受け入れるのか/」…という庶民の声に反応しているのがスウェーデン民主党なのだ。本当に人々の生活のことを考えて実行するか(できるか)というのはまた全く別な話だが、そういうふくれあがった不満や不安をとりこんで成長してきたのが彼らなのだと思う。
みんなが生活の不安なく暮らせることと、地球の健康を保つことは結局は重なった課題であるはずなのに…?