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Tシャツとサンダルの候

漱石の路


夏目漱石は、熊本五校赴任時代、

生涯兄と慕った菅虎雄(独語学者、書家)に会いに、度々久留米に訪れている。

その際、高良山にもよく登っていたようだ。


装具の試し歩きもしなければいけないし、今回は、漱石が歩いた道を辿りたい。



正面の山塊が高良山。

いつものように、テクテクと歩いて行く。



二の鳥居到着。

この日のルートは正面参道だ。



高良大社到着。

大社拝殿前から、久留米の町並みを望む。



大社脇に道祖神が祀られている。

登山道は、道祖神を回り込むように延びて行く。



鳳山通過。




漱石が歩いたであろう道沿いには、漱石の句碑が続く。


《菜の花の 遥かに黄なり 筑後川》


この季節の久留米の風物詩が詠まれている。

もっともそれは、一昔前までの事で、

最近は、河川敷が整備され過ぎて、菜の花で黄色く彩られはしないが。



高良山頂上。



漱石は正岡子規への手紙で、

『高良山に登り、それより山越を致し、発心と申す処の桜を見物致候』

と書いている。

『発心と申す処』とは草野町の発心公園の事である。

記事冒頭、漱石の歩いた跡を辿ると書いてはみたが、発心公園まで行くには少々骨がおれる。

今日の所は、途中で折り返すつもりだ。



《人に逢わず 雨降る山の 花盛》




《筑後路や 丸い山吹く 春の風》


因みに、小説草枕の冒頭の一節、

《山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ・・・》 

の『山路』とは、ここであると言われている。



高良山から先は、登山道は車道を縫うように交錯し、




半分は、車道を歩く事になる。




耳納山登山口。

『耳納連山』とあるように、山系名にこの山の名を冠している割には、実に地味な山である。



私はこの山で、人に遭遇したなど一度もない。




山頂。

耳納山から折り返す。



兜山分岐通過。







高良山頂上直下の森林公園まで戻ってきた。







ここから大社下までは、北面コースを行く。




高良大社石段下に到着。




茶屋横に石標がある。

『追分 善道寺/大宰府』の文字が見える。

漱石のエピソードが残る山川追分に行くには、ここからが最短である。



漱石が、この道を度々歩いたであろう事は確実である。




妙見神社

漱石の時代、この道の往来は今よりもっと頻繁で、この神社への参拝者も多かったに違いない。

今は笠木も貫も無くなってしまった鳥居が物悲しい。



古宝殿跡。




王子池まで400段の階段を降りて行く。




王子宮を通過。

更に真っすぐ進むと、



旧日田往還に突き当たる。

山川追分だ。

向かって右が日田、左が久留米である。

正面白い建物の位置に、往時の車夫溜まりがあったとか。


『追分とかいう処にて 車夫共の親方乗って行かん喃(のう)というが あまり可笑しかりければ』 

という添え書きに続き、

『親方と呼びかけられし毛布(ケット)哉』

この時の経験は、小説坊ちゃんの鎌倉での情景に活かされる。 




この日、歩数3万歩を越えた。

いつもなら、多少なりとも親指に痛みが出る筈だが、それは全く無し。


装具の効果は上々だ。

コメント一覧

minou_yamatai
そりゃ効かんやろ。
輝く扁平足か、外反母趾になりなはれ!
kinonukumorikan
そろそろ登山靴を履き替えねばと思っているが、普通の足でも保険は効く?
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