「こんなのがあるってよ。」
家内が見せたチラシには、
「何々、日本書紀に・・・あ、筑紫大地震か。行く!」
私の庭と言うべき髙良山周辺には、遠い昔に筑後を襲った大地震の痕跡が今も残る。
筑紫大地震には、一方ならぬ興味があるのだ。
ブイーーーン
田主丸そよ風ホール到着。
青空に映える紅葉。
やっと筑紫平野にも、遅い秋がやってきたようだ。
立派な施設である。
講師は久留米市役所文化財保護課の職員となっている。
彼の講義は、
「一度聞いたやん。ほら、吉野ヶ里の歴史フォーラムで。」(家内)
「あー、あの時の。」(私)
その時のテーマは純然たる古代史だった。
今回は、発掘現場から見た《筑紫大地震の痕跡》となっている。
どんな話が聞けるのだろうか。
678年筑紫の国を襲った大地震。
白村江の後、防衛の要衝であった筑紫国に、壊滅的な被害をもたらした。
因みに耳納(みのう)と表記するのは比較的新しく、古くは水縄と表した。
「書記には、地裂くる事広さ二丈(約6m)、長さ三千余丈(約10km)と書かれてます。」
「断層のずれ方は、右横ずれの正断層。」
「なので断層が動く度に耳納連山は、平均2m隆起している事になります。」
「千本杉に段差があるでしょ。あれは断層の隆起です。」
「御井駅一帯の段差もそうです。」
「髙良山の神籠石は北斜面がありません。あれは北側が断層のズレを繰り返し、防御する必要が無いほど、険峻だからと言う説もあります。」
最後の話は、神籠石防衛ライン説に否定的な私には(?)だが、
概ね刮目すべき話ばかりだった。
この手の公開講座は、コロナ禍で軒並み中止となっていた。
思えば、随分と久しぶりの講座である。
ようやく、コロナのトンネルの先が見えつつある、
・・・かも。