見出し画像

Tシャツとサンダルの候

セリバオウレンを探して



春の訪れを告げる妖精、セリバオウレン。

四王寺山に、その姿を見る事が出来ると言う。


「咲いとるらしかぞ。」(私)

「あ、行く。」(家内)

「ばってん……」


事はそう簡単ではないのだ。

山雑誌の記事も、山地図アプリのレポートも、この花の場合、意図的にその場所は伏せられているのだ。

クロカミランの場合と一緒である。


仕方がない。

手持ちの数少ない情報を重ね合わせ、後は現地を手探りで歩くしかない。



今回は焼米ヶ原駐車場から出発だ。




遥か古代の土塁に沿って遊歩道が延びている。




春を告げる花と言えば、このオオイヌノフグリと言う、誠に気の毒な名を付けられた花もそうである。

日当たりのいい斜面のそこかしこに、可愛い花を咲かせていた。



焼米ヶ原。

この付近の礎石群から、黒く炭化した米が発見された事から、この名が付いたとの由。



遊歩道周辺には、石仏札所が33箇所あり、札所巡りを楽しむ人も多いようだ。




盛り固められた古代の土塁。

1400年の時を経て、現在は遊歩道として、その役目を果たす事となった。

白村江の戦いの後、急ピッチでこの土塁を築いた天智天皇も、こんな未来が来るとは、予想だにしなかったに違いない。



大原山山頂通過。




山桜の巨木。

他にも数本の山桜が植わっていて、開花の時期に来ても面白いかもしれない。



だんだんと広葉樹が多くなってくる。




小石垣。

大きな谷を塞ぐ形で石が積まれている。

古代の防御壁兼水門。



更に進むと、急登が始まる。

息を切らせて進んだ先は・・・・



ゲ、通行止めかよ。

正面に見えているのは北石垣。

仕方ない。

焼米ヶ原までピストンで引き返す。



焼米ヶ原まで戻った後、

戦国期を通じ、私が最も好きな武将高橋紹運最期の地へ。



岩屋城本丸跡。

筑紫平野が一望である。



最期は紹運胴塚だ。




合掌。








えーっと、

ここまで読んできて、一体全体、今回の主題セリバオウレンはどうなってるのだ!

と、訝しく思われている事だろう。

勿体ぶるようだが、この私も不文律に倣い、場所が推察できるような投稿は控えたいと思う。

なので、途中経過を絡めない様、最後にまとめて画像を掲載する。







それは偶然だった。

前を行くグループが、遊歩道から外れ、林の中に入って行くのを見つけたのは。


もしかして・・・💡


はやる気持ちを抑えつつ、私らも後ろに続く。


「あ、あそこでカメラを下に、、、やっぱりそうよ!」(家内)



セリバオウレンだ。


やったぜ!



えー、今更だが。

ここまで勿体ぶって引っ張った割には、この先、残念な画像ばかりである事を、ここで断って置かねばならない。

ピンボケ&ブレブレばかりなのだ。

自分のカメラ撮影の下手さ加減を、呪うばかりである。






傍でカメラのシャッターを押している女性から、何処から来たかと尋ねられた。

何となく、色々と話している中で、


「クロカミランの時もそうやったけど、中々教えてくれんですよね。偶然、前を行くグループに付いて行ったら、ここに辿りつけました。」

「そうなんですよね。私もさっき、場所を聞かれたけど、教えていいものか、悩んじゃいましたもん。」




何度も言うがブレブレである。



この花には、雄花、雌花、両性花の3種があるそうな。

私には、どれがどれやらわからぬが、家内に言わせると、


「雌花は見つけきらんやった。」


らしい。




手ぶらで帰る事も覚悟しただけに、この妖精達を目にする事が出来た幸運を感謝せねばならぬ。









ぼちぼち、花の季節が始まる。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「野草、野鳥、その他」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事