新聞に三池港の『光の航路』の記事が載っていた。
光の航路とは、年に二回、それぞれ約10日間だけ、三池港閘門に真っすぐに陽が落ちる様を言うのだそうだ。
今がまさしくその時期だと、記事は伝えている。
「見に行こうか。ついでに、宮原抗でも見てから行くか。」
久々、大牟田へ車を飛ばす。
三池炭鉱宮原抗跡。
明治近代化遺産として世界遺産登録された直後に来て以来である。
当時は随分と人が多かったが、この日は閑散としていた。
ボランティアのガイドさんから声をかけられた。
「ご案内しましょうか。」
「是非是非。」
これは抗内の排水用パイプ。
三池炭鉱は水との戦いだったそうだ。
当時世界最大級の馬力を誇った、イギリス製のデビーポンプという・・・
止めた。
うろ覚えの下手な講釈など、曖昧だし、第一退屈に決まってる。
興味がある方は、各自調べられたし。
この鉄塔の下に竪坑がある。
第二竪坑巻揚機室
この煉瓦の積み方を、イギリス積みと言うのだそうだ。
巻揚機室内部。
当時のまま残されている。
石炭を運ぶトロッコ。
無論、当時のままである。
この箱に乗って、抗夫達は、遥か地下深く降りて行った。
三池港まで延びる、炭鉱専用鉄道敷跡。
当時の枕木が、現在も尚残っている。
程良き時間となった。
三池港へ移動である。
三池港。
旧長崎税関三池税関支署跡。
三池港展望台から。
今は、大型船が港内から出て行った直後である。
よって、閘門は開け放たれたままだ。
三池港の閘門は、船渠内の水位を干潮時でも8.5m以上に保つために設けらているのだそうだ。
予定では、あの船の軌跡通りに、光の航路が出来る筈なのだが・・・
光の航路を正面に見る事が出来る第一岸壁が、この時期だけ、午後4時半から日没までの時間、解放されるという。
展望台からでも十分なのだが、期間限定となれば、行ってみたくもなるじゃないか。
行ってみた。
既にアマチュアカメラマン達が、自慢のカメラを担いで、柵前に場所取りの為に並んでいた。
4時半、市役所の職員が柵を開けると同時に、小走りに駆け出すカメラマン達。
あー、やだやだ。
目の色変えちゃってるよ。
私はこんな場合、不貞腐れたように、殊更ゆっくり歩いてしまう天邪鬼なのだ。
ズンズンと後続の人々にも、追い抜かれる始末である。
当然ながら、場所取り競争から完全脱落。
一番端っこに三脚を立てる事になる。
先程開け放たれていた閘門は、いつの間にか閉められている。
「雲一つ無かけん、紫と茜色のグラデーションは見られんやろね。」
「いや、分らんよ。」
すぐ近くで、同じく場所取りに弾かれたオッサンらの話し声が聞こえる。
なるほどね。
でも、一つだけ分かっている事がある。
そのポジションでは、閘門内に光の航路が現れるのは、絶望的な事だ。
陽が落ち始めた。
あとちょっと、右に寄ってくれんかなあ。
あとちょい。
こうなれば、オニャンコポン(ガーナの天空神)に、全身全霊で祈りを捧げるしかなかろう。
怪しげな呪文を、周りに気づかれないように、ブツブツと唱えると、
あら不思議。
入っちゃったよ。
ギリギリでも、これは光の航路なのだ!!
ワーイ。
オニャンコポンは偉大なのだ。
展望台に戻った。
すっかり陽が落ちてしまった三池港。
今月25日まで、岸壁は開放されるそうだ。
行ってみようと思われた方で、場所取りに自信が無い方は、オニャンコポンに祈る事をお勧めする。