ここに2枚の写真がある。
2週間ほど前、とある溜池で撮影したものだ。
玉虫と言えば、
私が初めてそれを捕まえたのは、小学校4年の夏休みだった。
少し長くなる。
58年前の夏の日、
江島少年は偶然、髙良山の麓で玉虫を発見、その捕獲に成功した。
当時でも玉虫は希少で、家に帰ってもまだ、初めての経験に興奮醒めやらぬ私。
そんな私に、親父がかけた言葉は、
「夏休みの工作の宿題は、大きめの箱を作り、その底面に森や茂みの絵を描き、そこに採集した虫を配したらどうか?」
要するに、夏休みの宿題処理の提案だった。
なるほど、
親父にしては上出来だ。
とは言え私は、絶望的に不器用である。
大きな箱など作ろうものなら、学校に持って行く間に、粗方分解するのは目に見えている。
「そんなら、箱はお父さんが作ってよ。絵はオイが描くけん。」
小学4年の私は、自分の宿題なのに、共作と言う、まことにけしからん要求を父親に突きつけた。
倅が不器用な事を知っている親父としては、自分でも中々良いと思っているアイデアは実現したい。
その為には、不本意ながらも、その要求に屈するしかない。
「しょんなかたい。」
親父が作ったのは、高さ15cm、一辺の長さが1m程の真四角の箱。
大作である。
さっそく私は、出来上がった箱に、森や草叢の風景を描き、
夏休みの間に採取していた昆虫を、ピンで留めていった。
木々の部分には、自慢の玉虫やクワガタ、蝉。
青々とした空には、蝶々や蜻蛉が舞い、
草叢には、バッタやコオロギが潜む。
我ながら、絢爛たる里山風景の出来上がりである。
(この重たい箱をどうやって学校まで運んだのか、今となっては皆目思い出せない。大方、運搬作業も親父にさせたに違いない)
兎にも角にも、この箱は、我が担任の認めるところとなり、
久留米の小学校全体の優秀作を集めた佳作展に推挙された。
無論、佳作展へは家族全員で出かけた。
場所は、庄島小学校講堂であったと記憶している。
講堂玄関を開けると、会場正面に、私の・・・
いやもとい、
親父の作った箱が、堂々の展示である。
要するに一等賞だ。
これには流石の腹黒少年も、良心の呵責を憶えたものである。
玉虫を見る度に、
いたいけな子供と侮ってはいけない。
やつらはあれで、結構したたかなのだ。
遠い夏の日の出来事は、そんな教訓を私に教えてくれた。