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老子の霊訓3~知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている

2012-12-27 22:30:35 | 老子の霊訓
自然のままに素朴な信仰に生きた方が、むしろ人間は神に近い存在となるのです。
*レムリア・ルネッサンス推奨局 2008/07/30(水)ブログの記事
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・老子の霊訓2~無為自然の道~ のつづき
老子の霊訓3 ~知者は知に医者は技に溺れ、本質の外を空回りしている
『老子  ですから現代人は、とかくあなたも仰った様に詰め込み過ぎる。知り過ぎる。知り過ぎて馬鹿になっていく。
今の医者とか、科学者とかいうものは、言葉としては悪いかも知れませんけれども、いわば利巧馬鹿、お利巧さんの馬鹿者というものです。

医者というものは自分の医学に自惚(うぬぼ)れて酔ってしまって、たとえば死というものをいろいろ研究しています。死というものは心臓が止まった時に死であるとか、脳波が止まった時に死であるとか、こういった死のことをいろいろ考えて解ったような気になっているわけです。
死というのは、肉体から魂が離脱することであります。それが死であります。当然のことです。

  *あの世「死後の行き先
それを肉体の器管の動きばかり研究して、分かった分からないとやっているわけです。
私たちから見れば、非常におかしくて腹を抱えて笑っているような状況です。それで自分が賢いと思っているのです。本当に自分が賢いと思っているのです。これがおかしくてたまらないのです。

私たちからみるならば、こういった利巧馬鹿というのが、一杯居るのです。
つまり本当の死を知らなくてなぜ死んだか、何処で死んだか、生きているのかを決めるのか、そんなことに一所懸命あくせくしているんです。
こういったのが医者の先端にいる方々であります。また遺伝子工学とかいって、いろんな遺伝子の組換えだとか、或いは精子と卵子の問題、こういった人工でいろんな生き物を作る試み、こういったことをやって生命の神秘が解けたなどといって喜んでいる人達がいるんです。

そういったことを何十回何百回やったところで生命の秘密は解けないのです。魂の問題は解けないのです。魂の問題は魂の問題なのであります。
それを知らずしていくら生物学的に分析したところで限界です。
お釈迦様の掌の中で、゛孫悟空゛が宇宙の果てまで行ったと思ったのと同じことになってしまうのです。


こういった利巧馬鹿が非常に多いのです。それはそれでいいのです。知識として、技術としてそういったことを解明することは悪いことではありません。
ただこれで得意気に、したり顔をするのが間違っているといっているのです。
彼らは非常に可哀相であります。可哀相な方々であります。

彼らは死んでこちらの世界に来ます。そして自分らの脳があることを見て、脳があるということは私は未だ生きているということであろう。
心臓が動いているような気がするから未だ生きているのだろう。手を当ててみると心臓の音が聴こえるわけです。
死んでこちらへ未てもですね、ということは心臓が動いているということは、医学的に見て俺は生きているわけだから生きているのである。
――なんて言って親族とか、或いは子孫たちにですね、出て来ては災いを起こしている。こういった馬鹿な霊たちが沢山居るのです。
  *あの世「死後の行き先
これは知識で自分の思考を狂わしてしまっているわけです。
心臓が動いていると思っている。
霊としても暫くはですね、肉体と同じものはあるのです。
同じような対応するものがあるのです。
死んでその後でも自分の胸に手を当てると心臓も聴こえているのです。
それで自分が生きていると思っているのです。

だからいろんなところへ出て悪さをするんです。こういった馬鹿なことになるんです。
要するに知識を獲得するのはいいんだけれど、本来雲的な理解のもとに知識を増やすのは、その人の器を大きくすることでいいのだけれど、利巧馬鹿が多くて困る。
むしろこういう世の中であるならばもうそんな知識なんかいらないのです。
自然のままに素朴な信仰に生きた方が、むしろ人間は神に近い存在となるのです。


――  まあしかし、近年年を追うごとに、人間はその理性というものを強く求めるようになり、理性で納得できるものを真として認めるようになり、
かつてのイエス様の時代、またあなた方の時代の、或いはそれ以前の時代のように人びとが素朴でなくなったということも、時代の移り変わりでやむを得ないことではなかろうかと思うのでありますが。

昔であれば大黄河が流れているとか、或いはそこに大砂漠があるとか、或いは大森林があるとかいう中で人間が生きていたということによって自ずからそういうふうな、
大自然と神と人間とが対峙した状態で物事を考えていたのですが、現代ではその間に汽車が走り、自動車が走り、人が塵き、ビルが建ち並ぶというふうな時代になって来ますと、そういうことになってくるのではないでしょうか。


老子  必ずしもそうとも言えないのです。まあ世の中が悪いといえば悪いのです。
要するに科学者、或いは経済人、経済学者達、そうした方は勉強をした。勉強をしてその行末がこうなっているわけです。

あなた方の世の中というのは、要するに勉強すればそれだけで報われる。賢いことはいいことだ、こういった世の中なわけです。
ですからそうした賢い人の行末が科学者になったり、医学者になっているわけです。
で彼らが言うことだからそうなんだろうと、こういうことですね、そして今の時代に賢い人がたとえば宗教家とかになるかというと残念ながら大半はそうではないわけです。

そういう人たちはもっと現世的な方向へ行っているわけです。そうですね、そこに問題があるんです。ですからむしろ私はそういった賢い方々に、今まで不毛であった。
最近まで不毛であった、こういった霊的世界の方に踏み込んで貰いたいと思うのです。
そういった方々が全力を尽くして勉強されたならば、そして霊的世界を解明されたならば、世の中はもっと、もっと幸福になるはずです。

そうした賢い人達が科学者や医学者や、工学者とかそんなものになって分かったような顔をしているから、世の人もそういった偉い人が言っているのだからそうであろうと、こう思ってしまうのです。
ですからそれはそれで結構ですが、もっと霊的な世界においていわゆる現代的に言っても賢い人たちがどんどん進出してくることを私は希望するものです。
 』
(1986年1月31日の霊示)
 老子の霊訓4神的な自己の掘り起こし方についてにつづく
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(1986年1月31日の霊示)  *(K会?の霊言集リスト)
     *老子 - Wikipedia  *老子道徳経 - Wikipedia
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