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血液型別性格分類法を信じますか

2013年07月10日 13時39分14秒 | キャリア支援
血液型占いにすっかり洗脳されている
皆さまの目を覚ます呪文について

投稿日: 2013年7月2日
作成者: 永江一石

「永江さんってきっとAB型でしょう?」

という風に言われたことがいままで10億回くらいはあると記憶していますが、
そのたびにわたしの中ではその人の印象領域に
「リテラシー低」というタグを付けております。
中には完全に信じ切って、
まさに宗教の域のまで達している方もいます。
「結婚するならB型の人」
「A型の人とはわたしは合わない」みたいな・・
これって立派なブラッドハラスメントです。

本日は女性誌やテレビを中心に蔓延している
「血液型占い」は真っ赤な嘘であるという証明をしてみたいと思います。
タレント学者の武田教授くらいのトンデモぶりです。
これを読んだらいくら血液型信仰の熱狂的信者でも
洗脳が解けるはず。
穴があったらはいってください。

あなたはいつ、「血液型占い」というものができたか知っていますか?
占星術や亀甲占いみたいな古代からの占いじゃないのはわかりますよね。
血液型自体が発見されたのは1900年頃です。
第二次世界大戦のとき、
「B型は兵士に向いている」という仮説を立てた古川さんという方がいまして、
大日本帝国陸軍がこれを採用してB型部隊を編成したのですが全滅。
アホらしいとこのプロジェクトは終了になりました。
医学学会でも全く根拠無しということで否定になりました。

しかし戦後、能見正比古という人が血液型で性格がわかるという本を書き、
これがベストセラーになったわけです。
この本では血液型で性格分類をする元データを
自書のアンケートハガキで行ったとしており、
そもそも洗脳された人たちを使っての
アンケートですのでなんら意味がありません。
オウムの信者に「麻原は神か」と聞いたら全員が神と返答しますが、
それになにか意味がありますか?

大まかに書くと
血液型占いはこんな感じに人の性格を分類してますよね。

A型の人は、綺麗好きで几帳面
B型の人は、自己中心的
O型の人は、大雑把
AB型の人は、二面性がある

自分の部屋が綺麗な自己中の人なんか、
AでもBでも「当たった」と思うわけです。
さらに自己中で好きな人とそうでない人の前で
態度がかわるクソ女はAB型の要素もあるし、
部屋は綺麗でも仕事は大雑把の人は掃いて捨てるほどいます。
こういう感じで、誰にでも当てはまることを、
さも特定の人だけに当てはまるように思い込ませることを
バーナム効果というそうです。

え、そんなこと言っても自分の周りを見ると、
みんな当たってる??
まだ洗脳が解けない方にはこちら
「社会実情データ図録」さんからお借りしました。



http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=7460


血液型性格占い(血液型性格判断)が普及してから長い時間がたった。
国別・人種別の血液型シェアのデータを見つけたのでグラフにした。
資料は「カラー生物百科 」平凡社(1975年)
および古畑種基「血液型の話 」岩波新書(1962年)である。

対象となっているのは、
22の国と人種、内訳は米国インディアン、ケニア・キクユ族、
エスキモー、オーストラリア、スコットランド、
英国、イタリア、中国、米国白人、パプア、ペルシア、米国黒人、
フランス、ドイツ、ハンガリー、フィンランド、ポーランド、
日本、ロシア、インド人、ジプシー、アイヌである。

このうち、O型優勢の国・人種が11で最も多く、
A型優勢の8でややこれより少なくなっている。
B型優勢は3と少ない。図の国・人種は、
それぞれ優勢な血液型の多い順に並べてある。

血液型性格占い自体、
どのような科学的根拠をもつか分からないが
何となく当てはまるといった印象批評的なものなので
以下のコメントも暇つぶし的な論議ととってもらいたい。

O型優勢の中では、米国インディアンが最もO型シェアが高く(7割以上)、
ケニアの支配部族であるキクユ族が約6割で続いている。
以前読んだ「世界の民族」(平凡社の翻訳物)というシリーズでは、
このキクユ族の性格として、
事の軽重を問わずともかく理論好き、
私の印象では古代ギリシャ人のような民族であると思った((下注)参照)。
O型の私もなんとなく親近感をもつ。

この他、中国人もA型優位であるが、B型も25.0%であり、
B型優勢の3つの国・人種をに次ぐ高いシェアである。
我が道をいくというB型の性格から何となく、なるほどと思える。

A型的性格が最も強いのが米国黒人であり、
A型が何と8割以上となっている。
私は以前から同じ米国人でも黒人は、白人と異なって、
エキセントリックなところがなく、
バランスのとれた思いやりのあるやさしい人達ではないかと感じていたが、
A型が非常に多いと知って、
なるほどと思った。

日本人は一応A型優位だが、O型もB型もかなりおり、
よくいえば多様・多彩、悪く言えば性格のはっきりしない民族であるともいえよう。

B型優位の民族としては、インド人、ジプシー(ロマ)、
アイヌがあげられている。
血液型占いではマイペースな人々となろう。
ジプシー(ロマ)はインドから移動していった種族といわれるが、
これを見るとなるほどと思える。

なお、都道府県別の血液型分布を図録
7308に掲げたので参照されたい。

(注)L.S.B.リーキー(1973)「キクユ族」
(E.エバンス・プリチャード監修『世界の民族〈第2巻〉熱帯アフリカ 』平凡社)によると、
キクユ族は「論理的推論に傾倒している...
宣教師達が女子割礼の風習を非難し始めると、
キクユ族の論理的な頭脳から次の質問が返ってきた。
”あなた方が聖書を翻訳して聞かせてくれたところでは、
イエスの母マリアは割礼を受けた娘だったというのに、
この儀式を我々の娘たちに行ってはいけないとどうして言えるのか”
また”聖パウロが’割礼があってもなくても、
それは問題ではない’と裁定したのをどう説明できるか。
しかも聖パウロはこの言葉を男子の割礼に限定してはいないのだから、
女子の割礼の場合にもいえるわけではないか”と。」

(2006年5月27日収録、5月29日(注)追加、
2009年12月1日インド人、
米国インディアン・白人を追加)

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9450.htmlより

池袋の2つの百貨店

2013年07月10日 00時42分04秒 | 学習支援・研究
池袋の2大百貨店 
西武vs東武

「100年戦争」の歩みを振り返る

NEWS ポストセブン
7月6日(土)7時6分配信

東に西武、西に東武──。
1日約260万人が乗降する巨大ターミナル駅を擁する街・池袋。
その歴史は駅東口に鎮座する西武と
駅西口に腰を据える東武の100年にわたる
ライバル関係に彩られてきた。

のちに東武鉄道と合併する東上鉄道が、
山手線などを運行していた日本鉄道池袋駅の西側で
池袋駅を開業したのは1914年。
そのおよそ1年後に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が、
東上鉄道からみて逆方向にあたる東側で、
池袋~飯能間で運行を開始した。

西武鉄道、東武鉄道は共にその後、
合併により池袋での運行業務を引き継ぐことになった。
「東に西武、西に東武」は
合併による偶然の賜(たまもの)だったのである。

1940年、武蔵野鉄道は東口に武蔵野デパートを創立し、
1949年、社名を西武百貨店に変更した。
1962年、西口に東武百貨店池袋本店がオープンし、
デパートを舞台にした競争の火蓋が切って落とされた。

当初、リードしたのは西武だった。
西武池袋店は1980年代、全百貨店中で単店として売り上げトップを独走した。
元西武百貨店社長で
インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役の
水野誠一氏が当時の“西武スピリット”を振り返る。

「あの頃の西武は都心の老舗百貨店との“違い”を求める
堤清二会長(当時)の意向により、
文化やライフスタイルを追求し、
百貨店の新しい姿をリードする存在でした。
中でも巨大な池袋店では店舗の特徴を生かし、
“店の中に街を作る”ことを目指したんです」

時代の最先端を走る西武を追う東武百貨店は
1990年にCI(コーポレートアイデンティティ)を導入し、
「TOBU」というスタイリッシュなロゴマークと共に生まれ変わった。

1992年6月には中央館とメトロポリタンプラザを大規模に増築し、
約8万3000平方メートルの売り場面積を掲げてリニューアルオープン。
東京ドームがふたつ入るほどの広大な売り場は
当時の日本一を誇り、ネクタイだけで2万5,000本という圧巻の品揃えだった。
東武の“逆襲”は池袋に相乗効果を生んだ。

「昔から池袋には“東京の外れ”というイメージがあり、
商圏が駅に偏り“駅袋”と揶揄されていました。
しかし、1978年に大型複合施設のサンシャインシティがオープンして
街の魅力が増し、さらに東武百貨店の大増築で
東西のバランスが良くなった。
両社がいい意味で競い合った結果、
街全体の集客力が上がりました」(水野氏)

その後も東武はユニクロやZARAなど
ファストファッションやスポーツジムを店内に取り入れ、
“百貨店にこだわらない”攻めの姿勢を貫く。

「当店は従来の百貨店の枠にとらわれず、
お客さまの望む商品を扱います。
お客さまの豊かな生活に豊かな選択肢を提案すべく、
昨年12月には美と健康と癒しを追求する大人の女性を対象とした
新ゾーン『TOBUビューティーテラス』を開設しました」
(東武百貨店広報)

一方の西武は1990年代からバブル崩壊に伴う経営危機に陥ったが、
2006年にセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入って
風向きが変わった。
2008年から約300億円もの大金を投じて
店舗の全面改装を実施するなど、
“王国の復権”を印象づけている。

「お客さまの変化に対応すべく改装しました。
生活に最も密着する『食』を強化するため、
地下3階に1,700平方メートルの集中厨房を設置し、
助産師が常駐して妊婦や出産後の女性の無料相談に応じる
『プレママステーション』など
新たなソリューションサービスを創出しています」
(西武池袋本店広報)

両社の競争が新たなステージに突入したのは2008年だった。
6月に池袋、新宿、渋谷などを結ぶ地下鉄副都心線が開通し、
東武東上線と西武池袋線もそれぞれ副都心線との相互直通運転を開始した。

これに合わせ、長年ライバル関係にあった西武と東武は
ガッチリと手を握った。
池袋の集客力を増すべく、駅近辺に合同の案内所を設置し、
共通のエコバッグを配布したのだ。

取材・文■池田道大

※週刊ポスト2013年7月12日号

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130706-00000010-pseven-bus_all