朝日新聞の新人研修
抗議に備え逃げ道用意する書き方教える
NEWS ポストセブン
2013年12月31日(火)7時5分配信
日本のクオリティペーパーを自任する
朝日新聞の紙面の質が年々劣化している。
同紙OBで社会部、「週刊朝日」編集長、
編集委員などを歴任した川村二郎氏は以下のように指摘する。
* * *
最近の朝日新聞を読むと、おかしな日本語によく出くわす。
たとえば、特定秘密保護法案を巡って
〈与野党、修正案で隔たり〉という記事(2013年11月15日付)。
〈渡辺喜美代表は「『内閣の関与強化』がのめないのなら、
協議がととのわない可能性がある」と牽制する〉(傍点筆者)
「牽制する」というのは記者の感想、解釈だ。
渡辺代表は「そうは言ったけれど、牽制する気はなかった」と言うかもしれない。
事実と記者の感想、解釈を混ぜてはいけない。
その人が言ったことを事実として書いた上で、
それを記者が牽制だと思うなら、そう思う理由を、
筋道を立てて説明しなければならない。
最近、この手の記事が多いが、社長、役員は
おかしいと思わないのだろうか。
さらに問題なのは「~としている」という表現だ。
たとえば「○○氏の事務所は『事件の推移を見守り、返金もする』としている」とか、
「今回の提訴について、○社は『訴状が届いていないので、コメントできない』としている」
といった記事が毎日のように載っている。
そんな日本語はない。
これでは何語にも訳せない。
なぜ「言った」とか「話した」と書かないのか。
朝日新聞の新人研修では「話した」「言った」と書くと
後で問題になることがあるから「~としている」と書くように指導していると聞いた。
抗議が来たときに備え、逃げ道を用意して書くのは卑怯ではないか。
新聞記者の文章が上達するか否かは、
言葉に敏感なデスクにつかえるかどうかで決まる。
私の場合、幸運にも行く先々にそういう先輩がいた。
文章に厳しく、「面白くない」と何度も記事を突き返され、
7回も8回も書き直しをさせられた。
昔は社会部に限らず、どこの部でも
「広辞苑」など字引が机やソファーの上にあった。
記者はしょっちゅう字引を引いていたから
不的確な日本語はまず使わなかった。
今は「広辞苑」も見かけない。
字引を引く習慣のある記者もほとんどいないようだ。
だから不的確な日本語で平気で記事を書くのだろう。
朝日新聞に限らず、どこの新聞社も似たり寄ったりらしい。
出版社にもそういう傾向が出てきた。
昔のような活字好きが少なくなっているようである。
残念でならない。
※SAPIO2014年1月号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131231-00000006-pseven-sociより
抗議に備え逃げ道用意する書き方教える
NEWS ポストセブン
2013年12月31日(火)7時5分配信
日本のクオリティペーパーを自任する
朝日新聞の紙面の質が年々劣化している。
同紙OBで社会部、「週刊朝日」編集長、
編集委員などを歴任した川村二郎氏は以下のように指摘する。
* * *
最近の朝日新聞を読むと、おかしな日本語によく出くわす。
たとえば、特定秘密保護法案を巡って
〈与野党、修正案で隔たり〉という記事(2013年11月15日付)。
〈渡辺喜美代表は「『内閣の関与強化』がのめないのなら、
協議がととのわない可能性がある」と牽制する〉(傍点筆者)
「牽制する」というのは記者の感想、解釈だ。
渡辺代表は「そうは言ったけれど、牽制する気はなかった」と言うかもしれない。
事実と記者の感想、解釈を混ぜてはいけない。
その人が言ったことを事実として書いた上で、
それを記者が牽制だと思うなら、そう思う理由を、
筋道を立てて説明しなければならない。
最近、この手の記事が多いが、社長、役員は
おかしいと思わないのだろうか。
さらに問題なのは「~としている」という表現だ。
たとえば「○○氏の事務所は『事件の推移を見守り、返金もする』としている」とか、
「今回の提訴について、○社は『訴状が届いていないので、コメントできない』としている」
といった記事が毎日のように載っている。
そんな日本語はない。
これでは何語にも訳せない。
なぜ「言った」とか「話した」と書かないのか。
朝日新聞の新人研修では「話した」「言った」と書くと
後で問題になることがあるから「~としている」と書くように指導していると聞いた。
抗議が来たときに備え、逃げ道を用意して書くのは卑怯ではないか。
新聞記者の文章が上達するか否かは、
言葉に敏感なデスクにつかえるかどうかで決まる。
私の場合、幸運にも行く先々にそういう先輩がいた。
文章に厳しく、「面白くない」と何度も記事を突き返され、
7回も8回も書き直しをさせられた。
昔は社会部に限らず、どこの部でも
「広辞苑」など字引が机やソファーの上にあった。
記者はしょっちゅう字引を引いていたから
不的確な日本語はまず使わなかった。
今は「広辞苑」も見かけない。
字引を引く習慣のある記者もほとんどいないようだ。
だから不的確な日本語で平気で記事を書くのだろう。
朝日新聞に限らず、どこの新聞社も似たり寄ったりらしい。
出版社にもそういう傾向が出てきた。
昔のような活字好きが少なくなっているようである。
残念でならない。
※SAPIO2014年1月号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131231-00000006-pseven-sociより