大正11年1月1日(85歳)生まれの義母はお誕生日を数日後に控えながら
風邪を拗らせて入院し脳梗塞をおこして1週間後あっという間に年末に帰らない人と
なってしまいました 結婚前は小学校の先生をして結婚をしてからは
編み物を教え,その後、生け花を習って40年ぐらいでしょうか
生け花教師として頑張っていました
秋の展覧会を済ませ、役員の反省会、クリスマスの花を生け。
お正月のお花の準備をして、来年のお年賀の用意もしていたのに・・・
さぞ、本人は無念だと思います しかし
いろんな見方、考え方があります 私は見事だと思っています
お葬式ではこういう風にこの世とさよならしたいとすすり泣く人の声が聞こえてきました
元気でしたのでもったいないと思うかも知れませんが気位の高い義母でしたので
後遺症が残り快復しても植物人間状態といわれては・・
そういう事を考えると義母もこれでいいのだと納得していると思います
「いい人生だった 幸せだった」と何かの折には言って頂戴と義母が話していたのを思い出します
本当に見事な一生だったと思います もっとやさしくしてあげればとか
いろいろ思いは複雑で心残りはありますが精一杯やったと思う事にしています
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この作品の写真は展覧会では私が撮った最後の写真になります
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長い間、通ってきて下さったお弟子さんやお花のお仲間の先生方に感謝したいと思います
お花を教える事に生きがいがあったから義母もここまで頑張れたんだとも思いますので・・
本当に義母の生き方は真似が出来ないほど強い生き方だと思います いろいろ学ばせていただきましたが
しっかり学習できているといいんですけれども・・???これからもよろしく
もうすぐお彼岸です 義母の好きなお花を生けたいと思います
遅ればせながら、お母上のお悔やみを申し上げます。本当に見事な人生の閉じ方をなさいましたね。
最後まで現役でいらっしゃったこと・・。ご立派
。あやかりたいけれど無理でしょう。いろいろ
おありでお疲れでしょう。お大切になさってください。
さりげない やさしいコメントをありがとうございます
りるさん
何か まだ心から笑えないんですよね 時間が解決してくれるのを待ちます ありがとうございます
今回は本当に考えさせられました
どうしたら寝込まずにぼけないでいられるのか
自分の老後がこわいです
苦しまず ふぅっといなくなってしまうなんて
私達もそうできたらいいですね 生涯趣味として燃える物があるというのは強いです
生け花教師は 楚々とした人には務まらないんですよね 竹を割ってしなやかにしたり 大木を切ってみがいたり ブリキや鉄と格闘しながらイメージをつくりあげたり 肉体労働の創造力の世界です 大変だから主人とはいつも言い合いしてました やめるやめると
いいながら作品を出す事をやめられず主人ももう言うのをあきらめて協力せざるを得なかったです もちろん 私もひょうたん50個を漂白したり、木にペンキを塗ったりして助けてあげました でも本人の思いえがいたようにいかない為、私達が帰った後やりなおししていたみたいです
年齢を感じさせない若さ、優しさの溢れる爽やかな生け花からお人柄が感じとれます。
ご本人は無念と同時に「これで良かった」と思える最期だったと思いますよ。
私達も出来る事なら長患いなどしたくないですしね。
メロディさんが精一杯尽くして来られた方である事は誰の目にも判ります。お疲れが出ません様に・・。
心よりご冥福をお祈りいたします。
素晴らしい人生を送られた方ですね。
ご主人様には自慢のお母様でしたでしょう。
ご冥福をお祈り致します。
メロディさんお疲れ様でした。
nettonさん
ありがとうございます
今はただ義母の冥福を祈るのみです
メロディさんは親孝行されていましたもの、幸せなおかあさまだったと思います。
ご高齢になってもこんなに素晴らしい作品を作られていたのですねぇ
人間散り際が大事ということを身をもってされ、見事だと思います。
87歳になる京都の知人も庭で草を取っているときにことんとあの世に逝きたいとおっしゃっています。
メロディさんの嫁としてのお勤めも立派でしたよ。