■ストーリー抜粋≫ イギリスの文学者C・S・ルイスの児童小説「ナルニア国物語」を原作に実写映画化。『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』 第二次世界大戦下のイギリス。ペベンシー家の4人の兄妹──ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーは、戦火を逃れて田舎に住むカーク教授に預けられる。とてつもなく広い屋敷を探索する内に、末っ子のルーシーは空き部屋にある衣装だんすに入り込む。毛皮のコートを押しのけて奥に進むと、いつしかルーシーは雪に覆われた真夜中の森に立っていた。 そこは、ナルニア──不思議な生きものたちが暮らす魔法の国。かつて、偉大なる王アスランが作ったこの素晴らしい国は、美しく冷酷な“白い魔女”によって、永遠に春の来ない冬の世界に閉ざされていた。“白い魔女”への恐怖と心まで凍てつくような寒さの中で、ナルニア国の住人たちはひたすらに祈っていた。偉大なる王アスランの帰還と、伝説にあるケア・パラベルの城の4つの王座の主が現れるのを。】 |
■感想です≫
この手の後発のファンタジー映画の宿命と言うべきか!?「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」が先に公開されていて世の中を席巻し尽くして、もうとっくに神秘の扉は開かれていたので、扉の向こうの世界にあまり驚かされると言う事は有りませんでした。早くから予告編を見せ過ぎって言うのも有ったと思うけど!?それでもう何度も見た気分にさせられていた感が無きにしも非ず!
だからと言って、「ナルニア国物語」が面白くなかったと言う事ではないですけど・・・。ストーリーにメッセージ性が有り、壮大なスケールのロケーションも素晴らしかったし、RPGゲームの要素が散りばめられていて楽しめました。殆どすべてC Gで作られていた動物達の映像も見事でした。でもやっぱり無意識のうちに「このシーンどこかで観た」とか「この展開はあの映画と一緒だ」とか頭をよぎってしまいますね(^_^;)。もうこれからは、「まったく誰も見たことも無い映像」というキャッチコピーは無理でしょうか?^m^
そして気になったのが、フルC Gとロボットで描かれたというライオンのアスラン王が微妙に人間との対比で、顔のバランスが見る角度によって違ったりして・・・リアルでは有ったけど、アスラン王にとってのクライマックスのシーンでも心に響く物は無かったです。ついでに言うと・・・アスランの声もイマイチだったです(~_~メ)。何かアスランと同化していないように感じました。(ライオンの口から英語ですから・・・、まぁ、同化は難しいと思うけど?(笑)誰の声だからと言うのじゃなくて、そういう意味でですわ。)
でも、これは言えると思うけど、「ナルニア国物語」の原作者C.S. ルイスは、親友で「ロード・オブ・ザ・リング」の原作者J.R.R. トールキンと共に「神秘的な物語は魂の糧となる」という信念を持っていて、その考え方から二人はそれぞれ壮大な妖精の国の物語を創り上げたそうです。こう言う考え方は、分かるような気がします。大自然の神秘性や絶大なカリスマ性を備えた物への畏怖の念を抱かせるのは、こう言う物語によって得られる感情だと思います。
幼い時に、こう言う物語に接して単一的な思考回路では推し量れない未知の神秘的な世界の広がりを与えてもらう事によって、思考回路が複雑で柔軟な迷路のようになり、自由な空想や発想の転換が生まれるようになると思う。「半分人間で半分獣みたいな生き物がいてもいいじゃない!?」って思う所から、「いろんなタイプの人間がいてもいいじゃない!?」って言う寛容性が生まれたら良いですよね。そう言う意味では、子供だけじゃなく大人も柔らか頭になれるファンタジー映画って、もっといっぱい作って欲しいし、時には、頑なになりかけた心に、扉の向こうに空想世界を感じる気持ちを思い起こさせて欲しい(^^♪
★ちょこっとトリビア≫
◇「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの原作者J.R.R. トールキンと、「ナルニア国物語」の原作者C.S. ルイスとは親友同士。2人はオックスフォード大学の職員で、ルイスが28歳、トールキンが34歳のときに同僚として出会う。ルイスは1950年に子ども向けの妖精物語として「ナルニア国物語」を、トールキンは1954年に大人向け妖精物語として「指輪物語」を出版した。
◇この映画の重要なキャラクターであるライオンのアスラン王は、フルC Gで作られたが、
なんと!何百万本の体毛を2年をかけて1本1本描かれたそうです。
◇お菓子に釣られて白い魔女の言いなりになるエドマンド・ペペンシー役のスキャンダー・
ケインズは、チャールズ・ダーウィンの末裔で4代目の孫に当たるそうです。
お父さんは作家さんです。
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