介護というには大袈裟ですが。

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大勢の大人に囲まれて 39

2022-10-18 21:35:03 | 日記
母は長男を友人達との寄り合い等に連れて行く事が多かった。母の友人達も自分の孫のように接してくださったらしい。長男は幼少期から大人に囲まれて育った。そのため他の子供に比べ、よく言えば落ち着きあり、大人びた。悪く言えば、ませている子供だった。
父も土日は長男を連れて、近くの飛行場や父の寄り合いに出かけた。
奥さんの両親も暇を見つけては初孫に会いに来てくれた。
奥さんの両親は私の両親と違い教育に熱心であった。そのためか子供向けの文学全集や子供向けの英会話の本をプレゼントしてくれた。
又、文武両道とばかりに、月に1.2回町内の剣道教室に連れて行った。
今にして思えば寄ってたかって大勢の大人が一人の子供に構いまくっていた。
そのため長女ほどではないが長男も、おじいちゃん子、おばあちゃん子になっていった。
私は長男が、おじいちゃん子、おばあちゃん子になるのは良いことだと思っていた。私が、おじいちゃん子、おばあちゃん子だったからである。

女性の働き方 38

2022-10-18 20:24:52 | 日記
数日たてば年が変わる年末に長男は産まれた。3000グラムには届かなかったが、元気の良い男の子だった。
その後、長男は、少し他の子より小柄ながらも特に問題なく成長をした。
思い返せば子育ては母が比較的していたようなイメージがある。
奥さんは当時のキャリアウーマンの走りだったような人で、私より優秀だった。
私と奥さんは、同じ会社の同僚、もっと言うと、同じ学校だった。更に言えば私と奥さんは、両親同士が知り合いで、私にとっては奥さんの一家は我が家とは違い、とても格式高い家庭に思っていた。
このあたりの経緯は複雑で、これを書き始めたら原稿用紙が30枚位書いてしまうので、今日は割愛するが、奥さんは子供を産んだものの、仕事を戻りたいという考えだった。ただ今と違い、元の職場に戻る。という事はなく、同業種の他の会社に再就職という形だった。
産休も育休も染みのない時代で、そのような言葉も発想もなかったかもしれない。
寿退社をしたら、女性は主婦になる。という考えが当時は主流だったのだ。


長男の誕生 37

2022-10-18 07:38:22 | 日記
毎日は帰ってこない父は、あまり感情を表に出さない人たったが、私が30歳手前で結婚をし、すぐに長男を産まれた時は、大変喜んでくれた。
私の両親は、なかなか子宝に恵まれず、私が生まれたのは当時としては少し遅めで父は30歳少し手前であり、その後、子供は生まれていない。当時は兄弟がいるのが比較的普通だったが、私はなぜか、兄弟がいない事に寂しいと思った事はなかった。
その頃から少し引きこもりだったのかもしれない。
私の両親は孫が生まれ、若返った印象をもった。定年間際たった父は、再雇用で70歳まで働くことが決まっている時期で、今思えば父も、そして母も、そして奥さんも一番充実していた時期たったかもしれない。
クリスマスを少し過ぎた寒い日の朝、少し小さかったが、元気に泣く長男の姿は20年たった今でもハッキリと覚えている。