介護というには大袈裟ですが。

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久しぶりの乾杯 27

2022-10-08 19:42:37 | 日記
一週間ぶりに見るマッサンは少し太って見えた。
『マッサン久しぶり』
私は、マッサンに声をかけると、彼は笑顔でソーシャルディスタンスの言葉を知らないのかと思うくらいに近くに歩み寄り握手をした。
聞けば、暇で元気が有り余っているという。確かにとても元気そうだった。
とりあえず飲もうと店を探したが、緊急事態宣言の真っ只中である、なかなか店もやっていなかったが、少し歩くと一軒の焼肉屋を見っけた。早速私とマッサンは焼肉屋に入ると、ビールとタン塩、ハラミを注文した。
『毎日飲み過ぎて困る』
『俺もだよ、少し太ったよ。
『緊急事態宣言なのに、飲んでいいのかね?』
『他の人は誘えなかったから、お前に連絡したんだ、お前なら来ると思ってね。』
『俺も飲みに誘いたいけど、なかなか誘いにくくて、マッサンなら気楽に付き合えるから楽だ』
たわいもない話をしているうちにビールとタン塩がきた。私とマッサンは、とりあえず乾杯をした。

友人からの呼び出し 26

2022-10-08 19:20:12 | 日記
緊急事態宣言から8日が過ぎた4月15日、お昼を少しまわった頃だったか、同僚のマッサンから電話が入った。
マッサンは人当たりが良く、いい意味で適当な男だった。私とは同期で、同じ落ちこぼれ仲間として初対面から本当に仲良くなった。彼は私が電話に出るなり、いつもの元気な声で言った。
『暇だなあ、飲みいこう!』
『いつ?』
『明日どう?』
『わかった、では明日。時間場所は任すよ。』
『なら明日14時に会社で。』
ということで、マツサンと飲みに行くことが決まった。
(本当に医療従事者、コロナ感染者の方、申し訳ないです。時効ということで、お許しください。)
4月16日、私は一週間ぶりに会社に行った。その日は、あいにくの雨だったが、13時50分に会社の玄関につくと、少し太ったマッサンがいた。

少しずつ芽生える不安。25

2022-10-08 18:39:32 | 日記
緊急事態宣言から4.5日が過ぎたあたりから、友人から電話をもらうことが多くなった。
やはり、皆んな不安はあると思う。緊急事態宣言が解除する雰囲気は全くなかったからである。
会社の同僚からも、このあたりから頻繁に連絡が来た。
給料は保証してくれるが、いつまで保証してくれるか不安で眠れない。と訴えてくる人もいた。
私に言っても、解決するはずはないも、皆んな先行きが見えずに戸惑っていた。
テレビを見ても、ニュースにしろ国会にしろ、何やら緊張感にあふれていた。
そんななか、政府が個人向けに融資を無利子、無担保でしてくれるという制度があるらしい。と友人が教えてくれた。私は、慣れない手つきでスマホをイジり、すぐに検索をした。我が家も裕福ではない、長男はともかく、長女は、もう少しお金がいる。
先行きが見えない毎日に、さすがの私も、少しだが不安なった。

焼酎があれば、戦争はおきないのでは? 24

2022-10-08 15:41:54 | 日記
緊急事態宣言になり、夕食を家族で食べる事が多くなった。
思い返せば、家族一人一人が自由に生活をすることが多い我が家では、子供と顔を合わせる機会が少なくなりがちであった。が。緊急事態宣言になり、子供達も自宅にいるため、当然顔を見る機会も増えた。
こんなに子供と接するのは、いつ以来だろう。
少し懐かしい気持ちになり、緊急事態宣言も悪い事ばかりでないかなと呑気に考えていた。
(医療従事者の方、コロナ感染者の方、ごめんなさい。)
私は夕方になると、近くの酒屋に行き、焼酎を買い、近くのスーパーで、お刺し身やら焼き鳥やら気に入った、おつまみと梅干しを買っては、自宅で焼酎の、お湯割りに梅干しを入れ、ダラダラと飲んだ。
初めのうちは一人で飲んでいたが、何日かすると、20歳になったであろう長男や奥さん、母も付き合いで飲むようになってくれた。
長女は未成年なので飲まなかったが、お刺し身は好物のため、よく食べてくれた。
焼酎は少なくとも私を幸せにした。
しがない営業マンで、家族からは、あまり相手にされず、尊敬の対象になっていないかもしれないが、焼酎を飲んでいる私は、自己満足だがプーチンより幸せだと感じた。


母の日課 23

2022-10-08 15:01:18 | 日記
不要不急の外出自粛のため、会社や学校は勿論。母の習い事も自粛となった。
母は、朝早く9時を過ぎるとスーパーに買い物に出かける事を日課にしていた。
少し早いのではと思ったが、比較的すいている時に行きたいと、雨の日以外は毎日買い物をした。
そして両手一杯に買い物袋を持ち帰ると、夕食の仕度を始めた。
我が家は少し変わった家庭で、朝ごはんを家族皆で食べなかった。
それぞれ朝出る時間がバラバラだからである。更に昼食もそれぞれ、適当に食べる事が多く、台所で一緒に食べることはなかった。お昼は皆んな会社や学校に行っているし、日曜も長男、長女とも部活やらなにやらで自宅にいなかった。母も日曜は習い事があり、奥さんも外出することが多かった。日曜は私がポツンと一人でいるのが普通だった。
そのため、家族で食事をとるのは夕食のみであった。