新・きものの基

絹や木綿、麻など素材から染織の歴史、技法、デザイン、そしてきものと暮らしの多様な関係までを紹介します!

きものの華・友禅染②

2009-12-03 08:14:56 | 友禅染

きものの華・友禅染② 宮崎友禅斎(1)

 「友禅染」の考案者といわれる宮崎友禅斎については、その生没年は明らかでなく、その著と思われる「和歌物あらかひ」「余情ひいながた」の末尾に「洛陽産扶桑扇工友禅」とあり、知恩院前に工房を構えていた扇面絵師であったことがわかっています。また後年加賀前田藩に招かれ、加賀友禅の名を残し、金沢で没したといわれています。

井原西鶴の「好色一代男」には「贅沢も世につれて次第に募り、人の知るお大尽は…(七巻・末社らく遊び)」と衣装や脇差し、印籠、鼻紙、足袋など当時の最先端のファッションの品々を鼻紙の小物に至るまで列挙する中に「扇も十二本骨で祐善が浮世絵」とあり、当時人気の扇面絵師であり、友禅斎の扇を持つことが最先端のお洒落だったことがわかります。

また『浮世画人伝』(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)には、「世に伝ふるところに拠れば、京染と称する美麗なる模様を染出すことを工夫せしは、友禅なり、故にまた友禅染とも称す。遊仙染と書くは誤なり。又友禅、鴨東に住みしをもて、加茂川染とも呼べり、女用鑑に曰く、爰に友禅と云ふ浮世絵法師あり、一流を扇に書(カキ)出(イダ)せしかば、貴賤の男女喜悦の眉うるはしく、丹花(タンカ)の唇をほころばせり、是によりて衣服のひな形を作りて、呉服師に与へしと。友禅は法師なれば、扇亦畳紙などには書きもすべし、衣服の上絵まで物せしとはいかにぞや。衣服の上絵は友禅自ら画きしにはあらずして、何ものか友禅の画の設色(セッショク)美麗にして、意匠の巧妙なるよりそをまねて、衣服の上絵に画き、友禅模様と名付しはあらざる歟。扨(*サテ)又女用鑑に、花の丸(マル)尽(ヅクシ)しの模様を友禅染といふとあり、松葉集古今(ココン)ぶしに、いなり参りの振袖ゆかし、ゆふぜんもやうでそんれはへ云々とあり、又西鶴(セイカク)の『胸算用』の中に、今は世間に皆紋どころを葉つきの牡丹と、四つ銀杏の丸、女中がたのはやりもの云々、これ等にて、其当時、友禅染の流行せし様を概想(ガイソウ)すべし。演劇にて揚巻助六の衣裳の紋も、葉つきの牡丹と四つ銀杏の丸なり、今かゞ紋と云ふはこの名残ならん。偖(*サテ)友禅斎は其生死の年月も亦詳ならず。兎(ト)に角(カク)一種の画風を案出して、浮世絵伝記中一種の花を添へたり。宝永三年発行せし梶女の『可知能葉(ひいながた本・祇園梶の菜集)』の挿画は友禅斎の筆なりと云ふ」とあります。

*写真/昭和29年、知恩院・友禅苑に友禅斎生誕三〇〇年を記念して建てられた銅像