日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

障がい という障害

2008-04-04 23:28:41 | Weblog
今日はある聾者の車の保険の切り替えの通訳だった。待ち合わせ時間は午後7時半。色々検討して話がついたのは9時15分にもなっていた。
人一倍心配症のこの聾者は、些細なことでもなかなか話が進まないので、出かけるときには遅くなることを覚悟していくことが多い。

今日は前年度と比べたい気持ちもあったのでさらに遅くなってしまった。
しかし、それなら今までの証書を出しておくとか、どんな保障が必要なのか
前もって準備することは当然なことだと思う。
始めて契約するわけではないのだから。

どうしようかな?と考えたが、やはり言った方が良いと考え思い切って言わせてもらった。

まず、保険会社の訪問時間だが、いまどき夜に契約なんておかしな話。
仕事だから相手は何時でもOKしてくれるだろうが、もし自分がその立場だったら
どうなのか?日中どうしても都合が悪ければ仕方ないが、いくらでも時間の都合は出来るはず。夜は誰でもゆっくりしたいもの・・・思いやりが欲しい。

次に、今日の契約は切り替えだから、詳しく知りたかったらあらかじめ
昨年度の証書を準備するなど、要件をまとめておくこと。
そして大切な書類は決まった所に整理しておくこと。など、色々説教がましい事を
言ってしまった。

まあ長い付き合いだったので、私の性格も分かっているだろうし、
ほかの人に嫌われないために あえて言いにくいことを言わせてもらったことも分かってくれるだろう?と思ったので。。。

障がいを持っていると、確かに不便ではあるだろう。たまにはいやな思いもすることもあるだろう。しかし、それは健常者も同じ。自分以外の人が集まれば
そこに戒律が生じる。思うようにはならないってことだ。

自分が暮らしやすい環境にするために必要なことは、相手の立場を理解する以外の
何物でもないと私は思う。

思えば思われるということである。
しかし時には空回りすることがあるかもしれないが、自分はいつも正常に心を使うことである。歯車がかみ合わなくなったら、噛み合うまでじっと待つことである。

歯車の大きさも違えば ますますかみ合わなくなるだろうから、そんなときは
相手の大きさの歯車に合わせた歯車を準備するのだ。
幾つも持っていると、大変便利なのです。

障害者だから許すのではなく、おかしいと思ったら伝えられる関係を作る努力が
大切なんだと私は思う。それはお互いにであるが・・・。

たいていの場合、聞こえないから、とか、仕方ない!とかと正しいことも教えないで親切の押し売りをしてしまう。違うでしょ!共栄共存 一緒に生きていくんでしょ!

障がいの障害を作ってはだめなのです。みんな同じ人間です。普通に暮らさなくてはだめなのです。

昨日の鍋は使えない?

2008-04-04 00:53:42 | Weblog
昨日の夕方は 手話通訳の仕事が入っていたので昼過ぎから夕方の食事の準備を始めた。鍋を温めてからサラダ油を入れ、野菜を入れようとしたとき、「お母さん たまちゃん息をしていないよ!」と夫の言葉に
びっくりして たまの処に飛んでいくと、やはりもう反応がなかった。
タマ タマーと泣きながら体を揺さぶったが再び目をあけることはなかった。

そんなこんなで動揺していたら“ぼっつ”と音がしてガスd台の鍋から火が出ていた。空だきしてしまったので、油が燃え始めめてしまったのだ。
換気扇のフィルターに火が移らないように急いで流し台に移した。
ホンの少しの油なのに燃え上がる炎はすごかった。

何とかほかに移らなかったが、鍋は煤だらけになってそのままではとても使える白物ではなくなってしまった。私の手にも 煤がしつこくこびりつき、中性洗剤をたわしにつけて こすって汚れが落ちた。

鍋は使えなくなってしまったが、火事にならずに済んでほっとした。

この騒ぎのおかげで、悲しい気持ちも一時吹き飛び 怪我の功名だった。
今日落ち着いたので こんなことも書きこめた。
 真黒になった鍋を 何とか綺麗にしてもう一度使おうか それとも思い切って
捨てようか?考えている。