おはようございます。
本日は、もろもろの感慨を込めた旅バナに、
どうぞ、おつきあいくださいませ。
(小谷城から琵琶湖を眺める。画像ではわかりにくて、ごめんなさい)
2014年秋、夫の「日本100名城」スタンプ集めで、
滋賀県の彦根城と小谷城に登城しました。
その移動の折・・・
佐和山城の看板を見かけたのです。
関ヶ原の合戦で敗れた、石田三成の城、
佐和山って、ここにあったんだ・・・と興奮、
ちょこっと寄ってほしいと、夫に頼みました。
「時間がないからムリ!」
ハンドルを持つ夫は、にべもなく・・・
続いて、小谷城。↑↓
当主・浅井長政の自刃と共に落城した城は、
憧れのお市様が、浅井三姉妹をもうけた城です。
ゆっくり歩きたいと申すも・・・
「暗くなってきたし、(小谷城戦国)資料館が閉まっちゃうから
そんな時間はない!」と、またも突き放されました。
当然、アタクシ、ぶすくれましたが・・・
夫の言うことも、もっともだと・・・
「小谷も、佐和山も、ゆっくり城歩きをしようね!」と、
夫にムリムリ約束させたのでした。
(井伊家の菩提寺・清涼寺。後ろが、かつての佐和山城)
それから・・・7年半・・・
あの頃と比べたら、城めぐりの知識と情報は、格段に増えています。
山城歩きには、トレッキングシューズやストックなどが必要な場合も、
あると、身にしみました。
今回は、小谷城も、佐和山城も、しっかり登城するつもりで、
シューズとストックも持参しています。
(小谷城、本丸。画像中央の盛り上がった部分)
ああ、それなのに・・・
7年半の歳月は、アラ還夫婦から、
体力、気力を確実に奪っておりました。
小谷城は・・・
2014年のアタクシは、
ふもとの追手道から登り、本丸を経て、一番奥の大嶽(オオヅツ)城まで登ろう、
所要時間3時間越えのルートを、夢見ました。
でも、2022年の現実は・・・
前回と同じく、金吾丸手前の駐車場↑まで、
つまりギリギリまで車で上り・・・本丸に着くと引き返してきました。
歩いたのは正味30分ほどでございましょうか・・・w
佐和山城にいたっては・・・
天気予報で、暑くなることが予想されており・・・
かつて島左近の邸があったとされる清涼寺と、
登山道入り口にある↑龍潭寺の石田三成公像を拝見できればいいや・・・
と、ハナから低い志で望んだ次第。
それなのに、
その低い志すらも、ろくに達成せず・・・
というのも、わんさか猿が出てきて、恐れをなしたのでございます。
(せっかくの三成公なのに・・・お顔が見えず。ごめんなさい!)
結果、↑三成公像を拝むと、即・退散でした・・・
は~~
人間、できるときにしておかなきゃダメですね。
2014年に50代だったアタクシたち夫婦も、
夫は60歳を越え、アタクシも還暦間近の、立派なアラ還でございます。
(本丸奥の大堀切。小谷城は見事な遺構ばかりでした)
もっとも・・正直に言えば・・・
ウチって、アウトドア夫婦じゃないじゃん!
で、トレッキングって、どうよ!?(ムリ、ムリ、ムリ~~)
・・・失礼いたしました。
(龍潭寺。ここから佐和山城への登城が始まるらしい)
小谷や佐和山を断念したのは、
年齢のせいだけではありませんでしたが・・・
やっぱり体力と気力の衰えは、実感しています。
コロナ禍で、もろもろ諦めていた時期があるだけに・・・
今、旅できることに感謝の念も湧き・・・
「できることは、できるときに!」と、
心から思うのでございました。
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本日も、おつきあいいただいた皆さま、
どうもありがとうございました。
なお、小谷城は素晴らしい遺構が見られ感激、
浅井家ゆかりの周辺地域も含め、いずれ、まとめたいと思っています。
どうぞ、またお立ち寄り下さいませ。