おはようございます。
とっても楽しかった山形の旅、きちんとまとめておきたいのですが・・・
なかなか時間が取れず!
まずは、ざっくりと、旅のメイン「城めぐり」をアップします。
どうぞ、おつきあいくださいませ。
我が家の「城歩き」は、ただいま、
夫の「日本100名城」「続日本100名城」のスタンプ集めに加え、
二人で位置ゲー「ニッポン城めぐり」をしています。
・・・ということで、山形の城めぐり。
スタンプ集めを始める前にも登城している城もありますが・・・
良いお城ばかりでした♫
(荘内神社ではちょうど結婚式を終えたところでした)
まずは、鶴ヶ岡城。
かつての城跡は、明治以後、神社になっていることが多く・・・
鶴岡市の荘内神社も、かつては庄内藩の鶴ヶ岡城でした。
ちょうど雨がひどくて・・・かなり端折ってしまいましたw
(ちょうど上杉祭の最中でした)
現在の上杉神社も、かつては米沢城でした。
名門・上杉家は関ヶ原の戦い以後、大幅に石高を減らされ、
移封されました。
それでも、謙信公以来の矜恃と共に生き抜いた・・・感動の城下町♫
↑長谷堂城。
上杉家の移封された原因となったのが、
「東の関ヶ原」と呼ばれる、長谷堂城の戦い。
関ヶ原の合戦と、ほぼ同時期に行われました。
上杉家からの猛攻を耐え抜いた城です。
上杉家と戦った、最上家の山形城。
長谷堂城から7キロの位置です。
江戸時代に主を替えつつも明治まで存続。
明治以後は、陸軍歩兵32連隊が置かれ、
城内を新幹線が通っているものの・・・
往時をしのぶことができました。
あまり知られていない城もリア攻め(実際に登城)しています。
出羽丸岡城。
車を走らせていると「加藤清正の墓」と大きな看板を見つけ、
「なんで熊本の清正?」と足を延ばしました。
熊本の加藤家は、清正嫡男・忠広が改易となり、
庄内の酒井家に「預け」られ、この城で暮らたのだとか。
そのとき、父・清正の墓も移したのだそうです。
もともとは、かつて、この地を支配していた武藤家の居館だったそうで、
なかなか見事な城跡でした。
雨が降っていなければなぁ~~~
小松城。
築城は、鎌倉時代のさかのぼるらしいとか。
のどかな公園ながら、見事な土塁が残っています。
井上ひさし氏の故郷だそうで、
劇団「こまつ座」は、ここから命名されたのだと、今頃、知りましたw
長瀞城。
江戸時代の一時期は天領となったものの、長瀞藩がありました。
かなり大きな城だったらしく、土塁や水堀がめぐっています。
長瀞城どころか、長瀞藩があったことすら知らなかったので、
びっくりでした。
山形県には「ニッポン城めぐり」に登録されている城郭が58城
うち、50城ポチしてきました。
・・・ということで、城めぐり・山形編終了でございます。
おつきあいいただき、どうもありがとうございました。