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小心者の歴史さんぽ①

2021-06-19 | おでかけ
おはようございます。

所用のついでに、大急ぎで、歴史さんぽを楽しんでいます。
本日から、鎌倉に残る「やぐら」の訪問編。
(「やぐら」の概要→「歴史さんぽ~中世の面影 -」)

どうぞ、おつきあいくださいませ。

(小心者なので、「やぐら」の撮影自体は控え、周りの雰囲気で
お伝えできればと存じます。お許し下さいませ)



寿福寺をお参りし、
初めて、「寿福寺やぐら」をめざしたときは・・・
この看板に恐れをなしました。↓




迂回すれば良いだけ・・・じゃないんですよ!



スズメバチ・・・は、コワイ。
今は、まさに活動期・・・即、「回れ右!」の撤退。

一人では危険、と、夫が一緒の時に、再挑戦しました。



寿福寺は現在拝観が出来ませんので、御本堂を正面にして、
↑案内通りに進むと先の看板に出ます。
さらに、看板に沿って進むと、寿福寺の墓地です。

突き当たりは、毛利家の墓・・・
(「三本の矢」の安芸・毛利家につながります)
これを左手に見ながら、階段を上ると、山の斜面が見えてきます。

この斜面に掘られたのが「寿福寺やぐら群」です。
いくつもある、やぐらの中には、五輪塔や法輪塔などが見えます。
中世に始まる「やぐら」が今も墓所であることを実感・・・


(この木立の下に、長方形に掘られた「お堂」があり、
それが「やぐら」です。ここだけで、二つ、三つはあったかと・・・)


この一番外れ、山の稜線の端、そのふもとに掘られた二つのやぐらが
北条政子と、次男である、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の墓です。

実朝公の墓は、内部に色づけされた唐草模様が描かれており
「からくさやぐら」と呼ばれている・・・と
よく紹介されています。

・・・う~ん。
残念ながら、わたしには、「からくさ模様」の確認はできず。

そもそも、小心者ですから、
「やぐら」の中を、じっくり観察できません・・・


(右下に穴が見えますが・・・これが「やぐら」の上の部分です。
すみません、これが、私のギリギリ撮影許可ラインです。)


わたしの中で、北条政子は岩下志麻さん、
源実朝は、篠田三郎さん・・・
はい、NHK大河ドラマ「草燃える」(1979)のキャスティングですw

十代の頃抱いた、好もしいイメージは今も変わらず・・・。
歴史の中に実在した、政子・実朝お二方のため、お数珠を取り出し、
「般若心経」を唱え、「やぐら」を後にしました。




はじめての「やぐら」参り・・・

山肌にいくつも掘られた、「やぐら」は圧巻であり、
それが現在も「墓」としてお参りされているらしいことは
感動でした。


本日もおつきあいいただき、どうもありがとうございました。

◆参考
鎌倉市教育センター編『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会

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