おはようございます。
本日は、萩の花について・・・
どうぞ、おつきあいくださいませ。
この季節になると、萩の花を探しています。
数年前の夏、山口県の萩城に登城したときは、
本当に、萩の花が、たくさん咲いていて、感激しました。
今年も、萩の花が見たくて、そわそわしてしまい・・・
「萩のトンネル」があるという、市内の風致公園へ
夫に連れて行ってもらいました。
・・・ご覧のように、萩のトンネル↓は、
まだ花に早いのですがw チラホラ咲いていて、十分に満足。
これからが楽しみです。
「秋の七草」のひとつ、萩の花。
この花に惹かれるきっかけとなり、
少女の頃から、毎年、繰り返し、読む小説があります。
それが、壺井栄「妙貞さんの萩の花」、
1957(昭和32)年初版、『壺井栄童話集』(新潮文庫)に収められていました。
栄らしい、故郷・小豆島を舞台にした小説です。
ーー老いた母と暮らす、萩江。
母は、荷運びや、他人の手伝いをして生活を支え、
貧しいながらも、萩江を女学校へ進学させてくれています。
女学校では、仲の良い友人ができたものの、
母の仕事のせいで、級友から、からかわれているのですが・・・
母には言えません。
学芸会で、萩江は作文を発表することになりました。
タイトルは「妙貞さんの萩の花」。
萩江の家にある見事な萩について書いたのです。
もともと、萩は、村の共同墓地にある「妙貞さん」のお墓から
植え替えた、一株が始まりでした。
妙貞さんは、5、60年前、巡礼と共に現われ、村に住み着いた女性。
お産を手伝ったり、読み書きを教えたり、相談事にも乗りました。
村人は深く信頼し、ついには警察から妙貞さんを守り切ったと・・・
そんな妙貞さん亡き後、お墓にお参りをする人は、今も絶えません・・・
・・・萩江は、読んでいるうちに、
妙貞さんと母親が重なってしまいます。
実は、萩江の家には、ちょっとした事情があったのですーー
小説が書かれたのは、少なくとも、1957(昭和32)年以前・・・
高度成長期前、昭和の日本には、
まだ、こういった家庭がたくさんあり、
互いに相手を想い合い、懸命に生きていたのでしょう。
萩江の家では、萩が「この家の母と子のさみしい生活をいろどり、
そのことでなぐさめいたわっているかのように
やさしい、しなやかなえだを精かぎりひろげ」ています。
花も、地味ながら、ひっそりと、いたわるような風情です。
萩江は、9月生まれ。
そのとき、妙貞さんの小さなお墓は、美しい萩の花にかくれており、
そこから、名前をもらったのだそうです。
わたしも9月生まれ。
とっくに萩江の年齢を超え、その母の年齢も超えようとしていますがw
少女の頃より、今の方が、萩の花の風情も、小説のあたたかさも、
心にしみるようになりました。
だからでしょうか。
萩江と、名付けの萩に寄せる思いは、年々、強くなっていくようです。
コロナ禍、先の見えない昨今ながら、
今年も、どこかで、萩の花の盛りに行きあえたら、と願っています。
本日もお付き合いいいただき、どうもありがとうございました。
◆引用
壺井栄「妙貞さんの萩の花」『壺井栄童話集』新潮文庫