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「エール」再開♫~「長崎の鐘」

2020-09-13 | パフォーマンス
明日から朝ドラ「エール」(NHK)が再開!
嬉しい!

・・・すると、さらに嬉しいことが・・・
アタクシ、感涙・・・涙が出ました(本当です!)

なんと、なんと、「長崎の鐘」モチーフとなった
長崎の医師役として吉岡秀隆さんが出演!

『長崎の鐘』著者・永田武役・・・って、明らかに
永井隆・医師でしょう!!

・・・・・・ああ、やっと・・・(涙で言葉にならない)


(長崎市永井隆記念館にて許可をいただいて撮影。)


永井隆・博士(1908ー1951)は、長崎の医師。

太平洋戦争のさなか・・・長年にわたり放射線医療を担っていたため
自身が白血病に冒され、余命を悟ります。
(当時の医学・放射線医療の限界だったのでしょう)

博士は、ともに、クリスチャンである妻・緑さんに
つらい事実を話し、二人の子を託しました・・・

そこへ、1945年8月9日の長崎原爆投下。
博士は病身をおして、長崎で被爆者の救護にあたります。
その後、自宅へ戻り、台所で骨片だけが残された緑さんを見つけたのでした。

やがて病床に就く日々・・・緑さんを亡くした博士は
子ども達のために必死に残された日々を生きます。
そのときの著作が『長崎の鐘』であり『この子を残して』なのです。

私は高度成長期生まれですから、幼い頃、「懐メロ」として
藤山一郎氏が「長崎の鐘」を歌う姿を何度も見ています。
なんとなく、永井隆博士や著作のことも知っていました。



けれど、永井隆博士に惹かれたのは、長崎で、です。

10年ほど前でしょうか・・・長崎を旅したときのこと。
大浦天主堂を見学し、ふと裏手にまわると・・・
コルベ神父の資料が展示されていました(当時)。

コルベ神父!
ポーランド人の神父ながら、長崎で布教、一時帰国のつもりで
故国へ戻ると、そのままアウシュヴィッツへ・・・

餓死刑を命じられた、囚人の身代わりを申し出て、
驚異の生命力で生きながらえ、最後は薬殺されています。



コルベ神父は、長崎時代、既に肺結核と診察されていました。
その診察をしたのが、永井隆博士だったのです!
展示で、それを知ったときの、アタクシの興奮は・・・すさまじいもの。

幼い頃に聞いたことはあっても、すっかり忘れていた、名前です。
コルベ神父につながるご縁で、以後、永井隆博士について、
自身はもちろん、お子さん達の著作も読むようになりました。

そして2016年長崎の旅で、如己堂と隣りの長崎市永井隆記念館を訪ね
あらためて感銘を受けています。
とりわけ「うちらの本箱」は、絶対に忘れられない見学でした。


その後、永井隆博士の縁で、津和野まで旅したほど・・・



長くなりました。
とにかく、永井隆博士は、わたしにとって、思い入れのある人物です。
博士をモデルにした役、吉岡秀隆さんなら、ぴったりだと思います。




朝ドラ「エール」は、古関裕而氏 の歌が、とにかく大好きだったので、
とっても楽しみにしていました。

「栄冠は君に輝く」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」なんて、
今でも私の励ましソング!ww


これからの「エール」で、主人公・裕一さんは軍歌を作り、
ヒットをとばします。
わたしも「露営の歌」 「若鷲の歌(予科練の歌)」は好きで歌えます。

でも、この曲を歌いながら、多くの若者が戦地へ赴くわけで・・・
ドラマでは、裕一さんの葛藤が描かれていくことになるのでしょう。
その苦しみの中で「長崎の鐘」との出会いは、大きな意味を持つはず・・・


吉岡秀隆さんの登場と、これからのドラマが楽しみです!

「わたナギ」で知った岡部大さんにも期待しています♫


◆書影は、版元ドットコムより使わせていただいております。

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