「フロンティア(frontier)」は、荒野に隣接する人口の少ない開拓地を指す言葉として、アメリカを中心に英語圏の国々で一般的に使われてきました。また、この場合のフロンティアは、文明社会の側から見た「未開社会と接する地域」を指すことが多いことから、何事かの有益なものが広がっていく際の「最前線」を意味するするキーワードとしてしばしば用いられています。
確かに「フロンティア」という言葉には、アメリカ合衆国の建国の歴史を背景に、常に新天地への希望にあふれた前向きなイメージが伴います。
開拓時代のアメリカでは、入植者達は先住民族であるインディアンの土地を収奪しながら、フロント・ラインを西へ西へと進めていきました。開拓者一人一人の血と汗による版図の拡大は、現在のアメリカ人の豊かな生活の基本に存在する自明の歴史であり、誇りであると言えます。ハリウッド映画に見る騎兵隊の大活躍や、ならず者から街を守る正義の味方の存在は、こうした開拓者の歴史の上に、何の屈託もなく大衆に受け入れられてきました。
ゴールド・ラッシュの時代を経て、大陸を横断したフロント・ラインはついに太平洋岸に到達します。1890年には、アメリカ合衆国の国土からはフロンティアが消滅したことが、合衆国政府により正式に認められました。
しかし、歴史の動きを踏まえると、アメリカにとってのフロンティアはその後も国境を越え、太平洋も越えてさらに西へと伸び続けていったと考えるのが妥当なのではないでしょうか。
1898年のハワイ王国併合や、同年に始まった米西戦争によるフィリピンやグァムの植民地化など、アメリカはその後も太平洋西岸の島々に具体的な領土の拡大を進めていきます。
さらに、1917年には第一次世界大戦に参戦し、疲弊したヨーロッパに代わって政治・経済活動のテリトリーを飛躍的に拡大させ、アメリカは世界をリードする宗主国としての地位を確かなものとさせていくこととなります。
1941年の太平洋戦争では、東アジアの覇権を目指す新興勢力であった日本と戦いこれを制し、1950年の朝鮮戦争や1960年に始まったベトナム戦争では、資本主義諸国のリーダーとして共産勢力と敵対。その後、1990年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争などにおいては、キリスト教国家、民主主義国家を代表する形でイスラム勢力と対峙したのは記憶に新しいところです。
アメリカ合衆国は、建国の理想を掲げたその成り立ちから言って、自らの倫理観に基づき世界のあるべき姿を追い求めることを宿命として背負う「特別な国家」であると言うことができるのではないでしょうか。
アメリカ人にとっての「フロンティア」、そして「フロンティア・スピリッツ」とは、単なる建国の歴史や精神にとどまらず、目指すべき世の中のあり方を定義づけていく過程であり、フロンティアの拡大を目指すその姿勢こそがアメリカそのものだと言えるのかもしれません。
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