1月27日の日経新聞に、人々の生活の基本となる「トイレ」という施設の整備が思うように進まない、インドの衛生事情に関する記事が掲載されていました。
インドと言えば13億人の人口を抱える世界第2位の人口大国であり、中国、日本に次ぐアジア3位の経済大国です。人口の約半分が25歳以下で未成年の数が5億人と非常に若い国であり、数多くのIT技術者を輩出するなど、中国と共に人口、経済ともに今以上の伸長が期待されています。
実際、インドの経済成長率は2015年に7.9%、2016年は6.8%、2017年度6.7%、2018年度は7.2%と、2%台でさえおぼつかない日本とは全く違った状況です。7%の成長が10年続けばGDPは2倍になる計算ですから、その成長ぶりは新興国の中でも極めて安定していると言って良いでしょう。
しかし、その一方で、ユニセフ(国連児童基金)の推計によれば約13億人のインド国民のうち、未だ5億6425万人が野外で用を足しているということです。世界で日常的に野外での排泄を強いられている人口は約9億5千万人と推計されているので、インドがその半数以上を占めている計算です。
インドでは現在でも幼児(5歳未満)の死因の17%は下痢とその合併症で、その原因の8割が排泄物に含まれる雑菌の経口感染だとされています。その理由について専門家は、井戸や水源付近で排泄が繰り返され、飲料水が日常的に汚染されていることを指摘しています。
記事は、もともと「不浄」なものを最も忌むインドでは(ヒンズー教徒を中心に)祈祷場所や台所の近くにトイレを置き、掃除をすることなどへの文化的抵抗があったとしています。
そこでモディ政権では、(こうした状況を受け)国父マハトマ・ガンジーの生誕150年にあたる2019年までに、野外での排せつのない国にする衛生改善運動「クリーン・インディア」を進めているということです。
インド政府は、農村部を中心に1兆ルピー(約1兆5千億円)以上を使い、合計すると1億1100万基のトイレを設置しようと全力を挙げている。こうした政策により、全国の農村トイレ普及率は(実際に使われているかどうかは別にして)4年前の約39%から約98%まで改善するという政府の目論見もあるようです。
しかし、公衆衛生の専門家は、(例えトイレが家に作られたとしても)インドの農村部の多くでは(実態として)屋外排泄が一般的である地域が少なくないと指摘しています。
数千年の悠久の歴史と文化を誇り、近年では中産階級も着々と育ちつつあるそんな未来ある国で、どうして生活の基本インフラである「トイレ」自体が普及しないのか。
こうした問題に関し、5年ほど前の東洋経済ONLINEに、開発コンサルタント企業のアジアインフラストラクチャ代表取締役である菱垣裕介氏が「なぜインドのトイレ普及率は5割以下なのか」(2014.8.30)と題する興味深いレポートを寄せています。
このレポートにおいて菱垣氏は、インドでは、トイレの普及に必要な条件は「施設」を造ることだけではないと説明しています。
人々が屋外に排泄した物は、モヘンジョダロ(インダス文明の都市遺跡)の時代から、アンタッチャブル(不可触民)の階層の人々が手で処分をしてきた。これらの人々はスカベンジャーと呼ばれ、現在でも排泄物の処理に対する代償で生計を立てているということです。
つまり、インドにおいてトイレを普及させるためには、スカベンジャーの職に固定化された人々を別の職につけなくてはならないし、この階層の人々に基礎的な教育の機会を与え、また他の職業につくための職業訓練もしていかなければならないと氏はしています。
一方、このような改革を進めていくには、他の階層の人々からの強い抵抗がある。さらにこの階層の人々自身の中にも、伝統的な役割と生活から離れていくことの「不安と抵抗」があるというのが氏の指摘するところです。
つまり、インドで一般家庭にトイレを普及させていくには、インフラとしてのトイレの設置と同時に、カーストとしてのアンタッチャブルに対する社会的な差別や偏見をなくし、教育機会と職業訓練機会をつくっていくことが必須となると氏は言います。
つまり、カースト制度というインド社会の根幹をなす大きな問題に対し切り込んでいかない限り、この問題の根本的な解決はないということになるでしょう。
「屋外排泄」には、飲料水の汚染などによる公衆衛生上のリスクばかりでなく、女性や子供の安全の確保や排せつを我慢することによる健康上のリスクなど、専門家からは様々な問題が指摘されています。
未来ある大国とされるインドが、(これから先)開発途上国から先進国の仲間入りを果たしていくためにどうしても越えていかなければいけない(目には見えない)ハードルが、使われないトイレの前に(どっかりと)横たわっているということでしょう。
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