MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2080 「男らしさ」が奪ってきたもの

2022年02月04日 | 社会・経済


 2月1日、元東京都知事、運輸大臣で作家の石原慎太郎氏が89歳で亡くなりました。戦前の空気を知る昭和一桁生まれの論客の死に、敗戦後の焼け跡から続いてきた日本の、一つの時代が終わったと寂しく感じている人も多いかもしれません。

 石原氏と言えば、外交や防衛問題でタカ派的な論陣を張った政治家として知られています。また、言論の世界でも、人権や自由に関するリベラルな論調に否定的な立場から様々な(右寄りで保守的な)発言を繰り返し、それゆえに注目され(批判されたり、喝さいを浴びたりする)存在であったのも事実です。特にジェンダーフリーの問題を巡っては、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪」「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」などという発言を繰り返し、フェミニストとは日常的に応酬し合っていたことを記憶している人も多いかもしれません。

 そういう意味で言えば、言論人としての石原慎太郎の特徴の一つに、「性差」への強いこだわりを挙げることができるでしょう。石原氏は1971年に著した『男の世界』に、「男が男である限り、男が男でしかない限り、そこには女には絶対あり得ない何かがある。それを男の特質とするなら、それを理解しない限り、たち入ることの出来ぬ男だけの世界がある筈だ」と記しています。氏によれば、それは「男だけが理解し、男だけが共感し、男だけが悲しみ、歓び、笑い、泣くことの出来る世界」であり、女性には決して理解しえないものだということです。

 同著において石原氏は、「男らしさ」とは「自己犠牲」だと説いています。「沈黙のうちに行われた、他人への献身のための自己犠牲。それこそが、一番男らしい男らしさだと思う」「男らしさに、言葉はいらない。他人のために、すべての意味で愛するもののために、黙って自らの生命をすら捧げることの出来るということ」だというのが氏の考える「男らしさ」だということです。

 戦争に直面し、「お国のため」に多くの男性が戦場に散っていった時代の記憶そのものが、男が男であることを追い求める彼の(頑なな)姿勢に体現されていたと読み取ることもできるかもしれません。「黙って耐えろ」「愛するもののために身を捧げろ」…(石原氏に代表される)そうした日本男児の「男らしさ」へのこだわりは、戦後70年を経た令和の時代に入った現在でも、社会に強い影響を残しているとの指摘もあるようです。

 2月2日の言論情報サイト「PHPオンライン衆知」は、「稼げない男は、男じゃない?…妻の姓を選んだ社会学者が問い直す男らしさ」と題する記事において、社会学者の中井治郎氏の近著『日本のふしぎな夫婦同姓』(PHP新書)の一部を紹介しているので、参考までに小欄に残しておきたいと思います。

 日本の男たちが(世帯の)「稼ぎ主」であることにこだわってきたのは、結婚や家族にとっての男の存在価値はそれによってしか証明できないという切実さがあったから。日本の男たちのプライドは、長らく「家族を養うこと」に直結されてきたと、中井氏はこの作品に綴っています。

 私生活や家庭生活を犠牲にしてでも会社に人生のすべてを捧げるこの国の男たちは、(実は)そうすることでしか彼らは自分の存在を許すことができなかった。そうしないと「妻に合わせる顔がなかった」というのが日本の男たちだったというのが中井氏の見解です。一方、男稼ぎが不安定化する脱工業化の時代がやってくると、欧州では誰かと同居すること、そして夫婦の共稼ぎ化を進めることでそれを乗り切ろうとする動きが始まった。しかし、日本の男たちは逆に性愛や結婚から撤退し始めたと中井氏は言います。

 近年盛んになった相談所やアプリを介した婚活市場でさえも、収入が不安定な女性はそれがゆえに結婚を望んで参入するが、収入が不安定な男性は最初から参入をあきらめてしまう場合が多い。生涯未婚率が男性の方が高いのも、男性からすると、「稼げない自分」は結婚を望む女性に「合わせる顔がない」ということだろうというのが氏の認識です。

 これまで男たちは、(女たちのようには)仲間に弱みを見せることや痛みを吐露することが許されなかったし、一貫した揺るぎなさこそが男らしさとされ、気まぐれでいることも柔軟に変わることも許されなかった。そして、これらの条件を満たさないと一人前の男とは認めてもらえなかったということです。

 さて、そんな中でも社会の方は(そんな男たちの気持ちなどはおかまいなしに)どんどんと姿を変えていった。「ボギー、あんたの時代はよかった」沢田研二がそう言ってステージでウィスキーをあおりながら、映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードに歌いかけたのは、1979年のことだと中井氏はこの一文に綴っています。

 昭和はこの後10年も続くが、孤独をトレンチコートの背中に漂わせて歩き去るダンディズムのような「男の沽券」は、その頃にはもうすでに十分に時代遅れで、懐かしく思い返されるものだった。それから現在まで、さらに40年以上が経つにもかかわらず、僕らはいまだに、「分かった。パンツは洗う。でも苗字は君が変えるんだよね?」などと往生際悪く粘っているということです。

 この国の「変わりたくない男たち」が今でも抱え続けている「変わること」への恐れと歪な頑固さは、懐かしんでばかりの「男の沽券」を立て直すこともなく、ただ「男らしくない」権利の数々を奪われたまま日々をやり過ごしてきたことのツケのようなものなのだと氏はここで指摘しています。

 そろそろ日本の男たちも、「男らしさ」呪縛から逃れ、「男らしさ」によって奪われてきた自由な感情を取り戻す時がやって来ているのではないか。「男の美学」「男の沽券」など日本語には「男らしさ」を表現する言葉が数ありますが、令和を生きる若い世代は(男女を問わず)もはやそこに「失われたものへの哀愁」のようなものしか感じていない。石原氏ではありませんが、単なる性別を示す「男」という言葉を(いかにも大事に)振りかざすオヤジたちの姿も、「滑稽」なものとしか受け止められない時代を迎えているようです。

 そうした、男たちがプライドの行き場を失った時代の到来を踏まえ、「男たちの新しい道標になる美学や矜持を描き直すには、まず、僕たちはこれまで何を奪われてきたのかということから考えてみるのもいいかもしれない」と話すこの著作における中井氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿