「アメリカ・ファースト」を唱え、4年間の任期中に数々の急進的な政策を打ち出してきたトランプ前大統領に代わって登場したアメリカのバイデン大統領は、これまでの長い政治経験や79歳という年齢もあって(少なくとも米国内では)「穏健派」と目されることが多いようです。
しかし、国内政策は別にして、こと中国への対応に関しては、(トランプ政権と比較しても)米国の厳しい態度に何ら変化はありません。最大の懸案である台湾問題について、バイデン大統領は「一方的な現状の変更や平和と安定を損なう試みに強く反対する」立場を示しており、もしも台湾海峡有事の際は武力衝突も辞さない構えを崩していません。
中国に反発の強い国内世論もあり、2月の北京冬季五輪の「外交ボイコット」などで圧力を強める一方、米英豪の安全保障協力の枠組み「AUKUS(オーカス)」や日米豪印4カ国による「Quad(クアッド)の開催など、「開かれたインド太平洋」の名のもとに菅家国による中国包囲網の構築を急いでいる状況です。
そんなバイデン政権が鳴り物入りで開催したのが、昨年末の「民主主義サミット」と言えるでしょう。しかし、話題になったのも一瞬のこと。会議自体がオンラインで行なわれたこともあってまったく盛り上がらないまま、そして共同声明もなしに閉会したのは記憶に新しいところです。
もとより同会議に関しては、国内で多くの人権問題を抱えるフィリピンのドゥテルテ大統領やブラジルのボルソナロ大統領を招待したことで、多くの国際NGOや人権団体などから非難の声が上がっていました。その背景には、国際的な覇権争いの渦中にある米国にとって、2030年代にGDPで中国に逆転されるという予測が現実味を帯びてきたことへの焦りなどもあるのでしょう。
とはいえ、日本国内の報道に触れている限り、収容所での拘束なども厭わないウイグル族への弾圧や香港市民への政治的抑圧などは、現代のリベラルな社会ではけっして容認できないもの。さらに、各国の経済活動に対する政治的な嫌がらせや軍事力の増強を背景とした現状変更への圧力は、安定した国際社会のためにも容認できるものではありません。
こうして状況に変化が生まれない中、私たち自由主義諸国の人間は、吹き付ける北風に襟を立て、頑なな態度を崩さない中国の人々や指導者にどのようなメッセージを送ればよいのか。1月9日の日本経済新聞の紙面に、英オックスフォード・ポリティカル・レビュー編集長のブライアン・ウォン氏が「中国への批判、逆効果にも」と題する興味深い論考を寄せていたので、小欄に概要を残しておきたいともいます。
中国を巡る西側の議論では、全ての中国人は抑圧され、中核となる自由や基本的な権利を奪われていると主張する評論家がいる。彼らの主張によれば、中国人民は国家のもとで苦しみ、抵抗しても無駄だとあきらめて沈黙しているということだと、ウォン氏はこの論考に記しています。
さらに一方には、中国人は中国共産党の命令に唯々諾々と従う、洗脳された好戦的な愛国主義者だとみる向きもある。しかし、(氏の知る限り)中国の中間層や知識層は、中国共産党のプロパガンダ(宣伝活動)に批判的であると同時に、西側の道徳観を押し付けるような物言いにも懐疑的だというのが、この論考においてウォン氏の指摘するところです。
中国の高学歴の起業家や知識人は、西側が中国について語る言葉の根底に二重基準や人種差別があると感じ幻滅している。(このため)西側が中国の中間層らの支持を得たいと考えるのなら、彼らを(洗脳された存在や過激な毛沢東主義者ではなく)価値のある個人とみなす必要があるというのが氏の認識です。
国民全体が中国共産党を支持していると考えるのは間違いだが、党と国民を切り離せると考えるのも同じくらい誤りだと氏は言います。多くの一般の中国人にとって、党は国民であり、国民は党といえる。西側が道徳観を振りかざして声高に中国を批判すればするほど、中国人はそうした声を、外国による干渉や帝国主義的な押しつけがましさの兆候としてとらえるということです。
声高な批判ほど、中国国内の有害なナショナリズムを増幅するものはないだろうと氏は続けます。西側は、中国共産党の幹部と国民の両方に受け入れられるような段階的な改革を特定し、正当化する必要があるというのが(中国との「付き合い方」に関する)ウォン氏の見解です。
氏は、中国との「競争」と「協力」の区分けは、西側と中国が相手の様々なグループとどのように関わるかにも及ぶべきだと話しています。中国の多くの人は、西側の提言の一部は合理的であり、価値があると考えている。一方、西側が決めつけによる批判を声高に叫べば叫ぶほど、変化に対して逆の効果を生むということです。
確かに、14億人を数える中国の人たちが皆、共産党指導部の指導を妄信する無知蒙昧の輩で、自国の利益ばかりを追う自分勝手な集団だと決めつけるような(ある種の欧米的な)発想が気になったことのある日本人も多いことでしょう。彼ら(中国人)は、我々自由主義諸国とは相容れない「違う人種」だと目するような発想に対しては、東アジアの同じ文化圏に暮らす一人として(日本の言論界も)はっきりものを言う機会を持つ必要もあるかもしれません。
そうした視点に立ち、「中国共産党と中国の国民全体、世界の長期的な利益を切り離すのは適切でない」「折り合いをつけるような方法でメッセージが伝われば、(中国政府や中国人民も)外部からの提案を受け入れるようになるかもしれない」と話すこの論考におけるウォン氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。
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