MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2760 行田にスタバは早すぎた?

2025年03月03日 | 社会・経済

 報道によれば、カフェチェーンを世界的に展開するスターバックスが埼玉県行田市に初出店する計画が、暗礁に乗り上げている由。今月着工し年内には市内の水城公園駐車場に開店する予定だったものが、駐車場付近に位置する公民館利用者ら8名から「駐車スペースが減る」などとして反対の声が上がり、同社は出店に慎重になっているということです。

 行田邦子行田市長によれば、誘致に反対する市民(団体)がスターバックス本社に建設中止を求める要望書を送ったことで、同社は市に対し「出店に対し懸念を示される意見がある以上、このままでは出店は困難」と伝えてきたとのこと。一方、こうした状況を受け、2月19日には、スタバの出店を求める市民団体の代表らが市役所を訪れ、「スターバックスの出店を求める署名」2082人分を行田市長に手渡したとの報道もありました。

 しばらく前になりますが、鳥取県知事の平井信治知事が、全国で唯一スターバックスがない県であることを逆手にとって、「スタバはないがスナバ(鳥取砂丘)はある」と自虐ネタにしたのは有名な話。(こうして)スマートな都会の象徴として受け止められてきたスタバも、(代々行田に暮らす)地元の人たちにとっては、地域外からいろいろな人がやって来る騒々しい迷惑な存在に映るのでしょう。

 「埼玉県」の名前の由来ともなった(「さきたま」の地)行田で、一体どんなことが起こっているのか。2月27日の「東洋経済ONLINE」に都市ジャーナリストの谷頭和希氏が『スタバ「市民の反対で出店中断」に見る“公園の変容”』と題するレポートを寄せているので、参考までに指摘の一部を残しておきたいと思います。

 行田市は、埼玉県東部に位置する人口約8万人の市。稲荷山古墳や古代蓮の里などの観光地で知られるが、他の地方都市と同様中心市街地の荒廃が進み、商店街はシャッター通りになっていると谷頭氏はこの論考で紹介しています。

 件のスターバックスは、そんな中心市街地にある水城公園に作られることになった。 市の「水城公園飲食施設出店者募集事業」に手を挙げたスターバックスが市の審査を経て協定を締結し、今年2月に着工の運びとなった。しかしここで、市民8名からなる「行田の明日を考える会」が出店反対の署名300件を集め、反対運動を始めたと氏は経緯を説明しています。

 行田市は反対署名を行った人々を尋ねて事業概要の説明などを行ったが反対運動は収まらず、同会がスターバックス本社にも「嘆願書」を送ったことで同社も計画の見直しを決断。今回の頓挫に至ったということです。

 谷頭氏によれば、「行田の明日を考える会」は反対する理由として、①スターバックスが作られることにより公民館の駐車場の駐車台数が減少し、渋滞や事故の危険性が高まる。②新設される駐車場を作るために樹木が伐採される。③事業者決定までの手続の不透明性が高い…の3点を挙げているとのこと。また、行田市が会員に対して行った説得行為についても、「憲法21条『表現の自由』の侵害にあたる」として違法性を主張しているということです。

 さて、(こうして)市民団体がスターバックス誘致に反対する理由は様々挙げられているが、その根幹には「公共施設である公園に民間企業が入り込むことに対する違和感」があるのではないかと、谷頭氏はここで指摘しています。民間企業の利益のために市が公共スペースである駐車場を貸したり、公共財を提供したりすることへの疑念を感じるのも、そこが「公共空間」たる公園だからこそではないかということです。

 一方、近年、都市公園における民間企業の役割は大きく変化しており、現在の公園を見ていくと、官民の連携はますます盛んになりつつあると谷頭氏は話しています。

 例えば、2016年にリニューアルオープンした南池袋公園は、カフェが作られたり芝生が作られたりして見違えるように変化した。また、渋谷のMIYASHITA PARKは、民間の施設と公園を共に整備できる立体都市公園制度によってリニューアル。三井不動産によるショッピングモールとスターバックスを中心に、各地から人が訪れる人気スポットとなったということです。

 もちろん、民間企業が公園の運営や管理に携わると「公共」の機能が損なわれてしまうのではないか?…という疑念を抱く住民がいるのも当然のこと。ただし、(最近の例を見る限り)ノウハウを持つ民間資本が積極的に関与することで、街がにぎわいを取り戻し結果として多くの人を受け入れる「公共性」が生まれるケースが増えていると氏は言います。

 つまり、官民連携によって公園内に活気が生まれ、結果的に公共的な姿を保てる場合も多いということ。少なくとも財政的に公園運営が厳しく、ほとんど放置状態になっている公園よりも、民間資本を入れ、公園の運営費をまかなうほうが公園本来のポテンシャルが活かせるというのが氏の指摘するところ。行田市の例を見ても、スターバックスに来てほしいという(にぎわいを求める)声は多く、「スタバ出店の再開を求める市民団体」にも(反対署名の7倍近い)2082人の署名が集まっているということです。

 実際、全国のスターバックスの中には、(私の知る限りでも)「世界一美しいスタバ」との評が高い富山市内の環水公園にある店舗や、都内千代田区の和田倉噴水公園にある店舗など、環境にマッチした驚くほど美しい雰囲気の良い空間を提供している例が数あるのもまた事実。そうしたものを覗いてみれば、地域のために反対する住民の皆さんの意識も少しは変わるかもしれません。

 市にしても市民団体にしても、自分たちが関わる地域を悪くしたいと思っている人は誰もいない。しかしその目的に対する手段をどのように取るのか、そこですれ違いが起こっているのだろうと氏はレポートの最後に記しています。

 だからこそ、自治体としてはより丁寧な事業の進め方や情報開示、反対派との対話を行う必要がある。行田市に関わるすべての人が納得する騒動の顛末になることを願いたいとこのレポートを結ぶ谷頭氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。


#2759 壁で得しているのは主婦ではない(その2)

2025年03月02日 | 社会・経済

 妻が夫の扶養家族となり、税金などさまざまな優遇を得られる「103万の壁」についての議論が国会で進む中、東京大学名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏は、昨年暮れ(12月19日)のライフスタイル情報メディア「TRILL」に「103万円の壁で得してきたのは主婦ではなくオジサン」と題する論考を寄せています。

 曰く、「1961年にできた配偶者控除、1985年に創設された主婦の基礎年金を保障する第3号被保険者、1987年の配偶者特別控除は、政治がつくった発明だった。それによってパートタイムで働く女性は増えたが、これは女性に育児や介護を担わせたままにしたい男性にとって都合の良い制度だ」とのこと。

 それでは、現代の日本において女性の就労を阻んでいる本当の「壁」とは、一体どこにあるのか? そして問題解決のためにはどのようにしていったら良いのか。上野氏の話は続きます。

 年収の壁、特に103万円の壁に関しては、先の岸田政権でも国会の議題に挙がった。しかし、それは女性側からの要求ではなく、最低賃金が上がったために(2023年に全国加重平均額が1000円を超えた)パート主婦たちが働ける時間が減ったことで、人手不足にあえぐ中小企業の経営者から悲鳴が上がり、国会がその声に応えたものだったと上野氏は説明しています。

 国民民主党の玉木雄一郎氏が言うように、壁が「年収178万円まで」に引き上げられたところで、月収14万円ぐらいで女性が経済的に自立できるはずがない。要するに、主婦はこれからも家計補助の立場に甘んじろということだというのが、この論考で氏が(厳しく)指摘するところです。

 確かに、パートタイムで働いている女性自身が、労働時間を増やし夫の扶養から外れることを避けているとして、現状を(女性の)自己選択の結果だと主張する声は聴く。「もし、あなたに正社員のオファーが来たら受けますか」というアンケートに、パート労働者の多数派がノーと答えてきたことから、政府も「パート就労は女性自身の選択」だと言ってきたと氏はしています。

 しかし、それはどうなのか?正社員になったとたんに残業や異動が命じられる。あえて言えばこのような正社員の働き方そのものが問題で、(家庭生活を一方的に押し付けられている身では)そうしたものを避けたい気持ちが生まれても同然だというのが氏の見解です。

 また、いったん制度ができあがると「既得権益層」を作りだすので、現状でトクをしていると思っている人、社会保険料や税金を払わなくていい立場を捨てようとは思えない人も確かに多いだろうと氏は言います。

 しかし、それで守られる「利益」は、ほんの目先だけのこと。氏によれば、20代からずっと正社員でいた場合と、中断再就労してパートタイムで働いた場合の生涯賃金の差は2億円に及ぶとの試算があるということです。たとえ現在40代以上でも、将来受け取る年金の額を考えると、今からでも収入を増やしておいたほうがよい。短期的には利益と見えても、長期的には不利益になる可能性が高いというのが氏の認識です。

 一方で、もしもパートからフルタイムになったら、住民税と所得税を払い、健康保険と年金の負担もかかり、夫の配偶者特別控除もなくなる。それでは「働き損」だとなれば、パート主婦にとって(正社員を選ぶことへの)心理的なハードルは高いだろうと氏は続けます。

 そのとおり、税制・社会保障制度が崖のような段差を作ることで、主婦自身が、壁の中にいたほうが有利だと思わされている。でも、その結果、女性は働いても低賃金で貧乏、その結果、老後も低年金で貧乏、一生ずーっと貧乏という樋口恵子さんのいう「BB(貧乏ばあさん)」になりかねないということです。

 同様のことは相続制度や年金制度にも言える。妻の収入が低くても夫に扶養してもらい、老後も一緒に年金をもらって最後まで生活できるという昭和型モデルを支持する中高年層も未だ多いと氏は言います。

 確かに夫が死んでも、遺産も妻の取り分が2分の1に増えたし、遺族年金も2分の1から4分の3に増えた。しかし、これは女性の人権保障などではなく、いうなれば「妻の座」権の保障に過ぎない。国が「あとちょっとの辛抱だから、夫を最期まで看取ったほうがお得」な制度とすることで、例え夫との生活がイヤになった夫婦の熟年離婚を抑止する効果があるということです。

  今は、(昭和の時代から続いてきた)これら制度が変わるかどうかの転換期。国民民主党は「扶養家族の大学生がバイトでもっと稼げるように」という間違った人気取りをしているが、学生に長時間労働できるようにさせるなんて本末転倒で、バイトなどしなくても勉学に専念できる環境を整えるのが政治だと氏は話しています。

 しかし、長い間不合理だとして女性が訴えてきた配偶者控除の壁に、政策課題として注目を集めたこと(だけ)は玉木氏の功績と言えるかもしれない。扶養の壁を撤廃して、妻も夫も収入に応じて税金を支払い、保険に加入する。同時に累進課税率(収入が高いほど税金も高くなる)を高めておけば、低所得ならそれほど税額は多くならないだろうということです。

 必要なのは、女性を「家」から解放すること。女性が「妻」や「母」ではなく、ひとりの個人として、親や夫に頼らず自立して生きることが「普通」にできる社会環境を整えていくということでしょうか。

 そのためにも、まずは税制・社会保障制度を世帯単位から個人単位にする必要があると氏はこの論考の最後に話しています。マイナンバーカードはそのためのもの。「壁」を撤廃するための突破口を、そうした身近なところに探すこの論考における上野氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


#2758 壁で得しているのは主婦ではない(その1)

2025年03月01日 | 社会・経済

 2024年12月、厚生労働省は2025年の年金制度改革において、「第3号被保険者制度の廃止は盛り込まない」方針を明らかにしました。

 厚生年金に加入している配偶者に扶養されている人が年金保険料を納めずとも年金が受け取れる「第3号被保険者制度」は、別名「主婦年金」とも呼ばれ、その不公平感や「年収の壁」の原因として批判の対象となることが増えています。

 今回、同制度の廃止に向けた動きが滞ったことで、「結局、専業主婦丸儲け」「恵まれている専業主婦のために、なんで私らが保険料払わなならんねん」といった不満の声も聞こえてくるところです。

 高度成長期に設けられた所得税の配偶者控除や、近年見直しが進む「扶養手当」も同じこと。成果主義、ジョブ型雇用が進む中、同じ仕事をしているのに、「仕事をしていない妻がいる」というだけで手取りが何万円も違うなんておかしいだろ?…と言われれば、確かにそんな気もしてきます。

 総務省の「労働力調査」によると専業主婦は年々減少しており、2022年現在で全世帯の約3割とされています。つまり、約7割が共働き世帯となっていることから、「特権階級」などと風当たりが強くなるのもやむを得ないのかもしれません。

 こうして「専業主婦」と呼ばれる立場の女性への世間の風向きが変わる中、昨年暮れ(12月19日)のライフスタイル情報メディア「TRILL」 に、フェニミズムの論客として知られる東京大学名誉教授の上野千鶴子氏が、「103万円の壁で得してきたのは主婦ではなくオジサン」と題する目を引くタイトルの論考を寄せているので、参考までにその指摘を(2回に分けて)残しておきたいと思います。

 1961年に作られた専業主婦の「内助の功」を評価する配偶者控除。そして、その25年後に創設された第3号被保険者制度などは(まちがって)「専業主婦優遇策」などと呼ばれているが、その実、この制度から得をするのは専業主婦を妻に持つ夫であり、その専業主婦を「見なし専業主婦」として「130万円の壁(のちに150万円)」まで低賃金で保険料の使用者負担なしで働かせる雇用主たちだと、上野氏は論考の冒頭に綴っています。

 (ストレートに言えば)これらの制度は、労働力不足を補うために政財官界で権力を持つ男性たちが結託して創った「オジサン優遇制度」だと氏は言います。1980年代、「高齢社会」に突入しつつある日本では、当時の中曽根首相が「家族は福祉の含み資産」などと言って「日本型福祉」を唱えていた。日本には強固な家族制度があるので、国家は福祉について心配しなくていい…要するに、無業の主婦には当然のように老人の介護をすることを強く期待されていたということです。

 無業の既婚女性であればそこから逃れられない。つまり、(裏を返せば)老人介護のごほうびとして専業主婦に与えられたのが、「第3号」の女性に年金をくれるというものだったというのが氏の認識です。しかしその後、90年代を通じて既婚女性の就労率は上がり、10年後の1995年には、パートタイムで働く主婦を含む「共働き世帯」の数が「専業主婦世帯」を逆転。どんどん「共働き世帯」が増え、現在では「専業主婦世帯」の3倍になっていると氏は解説しています。

 なぜそうなったか言えば、バブル崩壊後の「失われた…」と呼ばれる時代に夫の給与所得が減少したから。2008年のリーマンショックも追い打ちをかけ、ピーク時に比べて夫の収入が年収で100万円以上減った分を、妻が家計補助収入を稼がなければ家計が維持できなくなったということです。

 一方、「共働き」といっても、パート雇用の妻の家計寄与率は(現時点でも)25%未満に過ぎない。正社員カップルの場合でも男女賃金格差は大きく、妻の家計寄与率は4割未満だと氏は言います。パートタイム勤務・アルバイトをしている男女は約1474万人(2022年)いるが、そのうちの1126万人(76%)は女性。この1126万人を含む女性の非正規雇用者1432万人のうち、年収100万円未満の人は41.2%であることを考えれば、実際、「夫の扶養の範囲で」と就業調整をしている女性は多いということです。

 妻の家計補助収入で世帯の収入は増えたが、女性は、家事・育児・介護に加えて、外で働く時間が増えたことで、結果的に長時間労働になった。この現状を私(←上野氏)たちは「新・性別役割分担」と呼んでいると、この論考で氏は話しています。

 日本経済の「失われた30年」(1990~2020年)の間に、非正規雇用がものすごく増えて、雇用全体の37%、女性労働者に限れば(過半の)54%に達するまでとなった。今でも、非正規労働者全体の7割を女性が占めており、そこに、家計支持をしなければならないシングルの男女やシングルマザーが入って、不安定の就労形態の下、日本経済の底辺を支えてきたということです。

 さて、そうした大きな流れに変化が見られるのが昨今のこと。少子高齢化に伴う人手不足が進行し、それに伴い賃金も上昇の兆しを見せています。正規雇用労働者は2015年に8年ぶりにプラスに転じ、9年連続で増加。非正規雇用労働者は2010年以降増加が続き、2020年、2021年は減少したが、2022年以降は再び増加しているとされています。

 定年を迎え、多くの正規雇用労働者が職を離れる中、労働市場で(主に非正規として)日本の雇用を支えてきたのが女性と退職後の高齢者であることは、データからも間違いありません。しかし、それにも限界というものがある。これから先は、より多くの人に(できるだけ長時間の)労働参加を促し、また(「稼ぐ側」として)社会保障の担い手となってもらう必要があるということなのでしょう。

 果たして、そこに立ちはだかる「壁」とは何なのか?上野氏の話はさらに続きます。(「#2759壁で得しているのは主婦ではない(その2)」に続く)