昨年1年間、国内で働く人の1人当たりの現金給与の総額は、33年ぶりとなる高い伸びを示したものの、物価の上昇を考慮した実質賃金では0.2%減少し3年連続のマイナスだったと2月6日の新聞各紙が伝えています。
厚生労働省の発表によると、基本給や残業代などを合わせた働く人1人当たり現金給与総額(2024年)は、1か月平均で34万8182円。前の年を2.9パーセント上回り、4年連続で上昇したとのこと。比較可能な2001年以降、過去最高の伸び率となったということです。
しかし、これを物価の変動を反映した「実質賃金」でみると、前の年を0.2パーセント下回り、3年連続でマイナスとなった由。賃上げは大企業を中心に進んでいるが、働き手の多くを占める小規模な事業所では十分に上がらない状況も顕著になっているとされ、物価高に賃金上昇が追いつかず、家計は厳しさを増しているようです。
記録的な円安基調が続き訪日外国人の数が大きく伸びる中、「安いニッポン」で最も安いのが賃金だとなれば、インバウンドの増加に喜んでばかりもいられません。そうした折、2月4日の情報発信サイト「nippon.com」に東短リサーチ代表取締役社長でエコノミストの加藤 出(かとう・いずる)氏が「なぜ日本人の年収は他国よりこんなに低いのか?」と題する論考を寄せているので、その指摘を小欄に残しておきたいと思います。
OECDに加盟する主要国の平均年収(2023年)を最近の為替レートで円換算すると、アメリカは1241万円で日本(491万円)のおよそ2.5倍。スイスに至っては1616万円とは3.3倍と、差は広がるばかりだと加藤氏はこの論考に記しています。
約20年前の2004年はどうだったのか? 日本は466万円でアメリカは450万円。スイスは698万円で日本の1.5倍だが、今より差が随分小さかったと氏はしています。
因みにスイスは最低賃金(時給)も驚くほど高く、ジュネーブ州、チューリッヒ州で4100円前後とのこと。日本の全国平均は1055円なので約4倍の開きがあり、来日した外国人観光客の多くが「安い!安い!」と大喜びしている背景も理解できるというものです。
もっとも、いくら賃金が高くても、物価がそれ以上に高かったら国民生活は豊かにならない。スイスは物価が高い国だとよく言われるが、確かに英エコノミスト誌の「ビックマック指数」でも、スイスのビッグマックは日本の2.6倍だと氏は言います。しかし、(前述のように)スイスの平均年収は日本の3.3倍、最低賃金は4倍近いので、スイス人は日本人よりもビックマックを安く感じているはずだというのが氏の見解です。
日本とスイスの違いはどこから来るのか? 第一の理由は、生産性の差にあるというのが氏の指摘するところ。スイスには高い競争力を持つ優良企業が多く、例えば、米フォーチュン誌による2024年の「グローバル企業500」にランクインしている企業数では、日本は人口100万人あたり0.3社だが、スイスはその4倍の1.2社もあると氏は話しています。
実は1995年には日本も1.2社だった。しかし、バブル経済崩壊以降家電や半導体産業などが衰退し、他方で新たな産業が台頭して来なかったため、気が付けば中間層が以前よりも薄くなってしまったと氏は言います。
世界競争力ランキング(IMD)で見ると、1989年の世界1位は日本、2位はスイスだった。だが、その後日本は凋落し続け、2024年は38位まで落ち込み、一方のスイスは、(いったん下落を見せたもののその後盛り返し)08年以降ずっと世界のトップ5を維持しているということです。
何がここまでの差になったのか。まず、財政の健全さで、スイスと日本では雲泥の差があると氏は指摘しています。スイスは憲法で財政赤字を原則禁止しており、いわゆる財政のバラマキ政策は行わない。2024年の政府債務残高の対GDP比は32%と非常に低く、日本の251%(IMF推計)とは比較にならないということです。
こういった経済の“地力”の差が為替レートに影響を与えているのは否めない。もともと為替の世界では、スイス・フランと円が危機時の避難先通貨(Safe Haven)と見なされていたのは日本人もよく知るところ。しかし、日本円はこの10数年でその地位から見事に転げ落ち、(近年の激しい円安を見てもわかるとおり)国際比較における日本の年収の低さ、つまり対外購買力の弱さに繋がっているということです。
日本銀行は以前から、非常に緩和的な金融環境を維持することでインフレ率を押し上げ、目標の2%に定着させれば「賃金と物価の好循環」が実現すると主張してきたと氏は話しています。
1月24日に日銀は政策金利を0.5%へ引き上げたが、極めて緩和的な状況に変わりはない。政策金利から総合インフレ率を引いた実質政策金利はマイナス3.1%で、米FRB(連邦準備制度理事会)のプラス1.5%程度と比べても圧倒的に低いというのが氏の認識です。もちろんお金は、実質金利が低い方から高い方に流れやすい。つまり、今の日銀の政策は円安誘導を事実上行っているような状態だというのが氏の見解です。
エネルギーや食品の自給率が低い日本では、為替レートが大きく下落すると生活必需品の価格が上昇し、実質賃金が悪化して国民の暮らしはかえって苦しくなると氏は言います。もともと、中央銀行の金融緩和で生産性を向上させることはできないし、せいぜい賃金と物価がパラレルに上がる状況を生み出せるくらいだというのが氏の指摘するところです。
日銀が設定した「インフレターゲット」という言葉が独り歩きし、あたかも「インフレになれば景気が好転」するかの言説が目立っていた昨今ですが、そもそも「インフレに期待する」のはあくまで金融政策の世界のこと。国民生活にとって、物価が安いに越したことはないのは「あたりまえ」だということでしょう。
スイスは(日本と同様に)低インフレ国として知られ、過去20年間の総合インフレ率の平均は、日本もスイスも同じ0.6%だと氏は話しています。それなのにスイスは世界一の高賃金国。一方の日本は、賃金の面から言えば先進国の落ちこぼれだと氏は言います。
その意味するところは、インフレ2%を目指す政策は、実は大して大事ではないということ。企業や人材の競争力をいかにして高めていくか、というリアルな面での地道な改革が、今のわれわれには何よりも重要だと話す加藤氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます