MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2767 政治家の資質と「鈍感力」

2025年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 兵庫県の斎藤元彦知事がパワハラなどの疑惑を内部告発された問題で、3月5日、兵庫県議会に設置された「百条委員会」がまとめた調査報告書が(県議会)本会議において賛成多数で了承されました。

 自らのパワハラなどを指摘した匿名の内部告発文書を「うそ八百」と決めつけ、告発者を特定して懲戒処分とすることで口をふさいだ斎藤知事。報告書は、公益通報制度に基づく措置を取らずに告発者を処分した斎藤氏らの対応を、「告発者潰し」に当たると結論付けています。

 また報告書は、問題となった職員への𠮟責などについても「一定の事実が確認された」と認定。「パワハラと言っても過言ではない」と指摘し、知事らの対応を「行政として客観性、公平性を欠いており、大きな問題」と指弾しているところです。

 県議会は斎藤氏に対し、(報告書の指摘を)「重く受け止め、厳正に身を処していくことを期待する」と求めています。同調査は、地方自治法に基づく百条委員会の強い権限を背景に、庁内外の関係者や専門家らを聴取して9カ月かけて行われたもの。(その間)調査の過程で関係した委員が亡くなったり、一部委員による外部への情報漏洩が発覚したりと、多くの混乱と悲しみを生みながら、ようやくまとめられたものといえるでしょう。

 しかし、一方の当事者である斎藤知事は、調査報告書の指摘に対し「県の対応には問題がなかった」とする従来の見解を繰り返すのみ。知事選挙を挟んだ知事と議会の主張の相違は9か月にわたる調査を終えて今も交わることなく、まさに「平行線」のまま(何事もなかったように)変化はありません。

 選挙で再選(信任)された…つまり「禊は既に済んでいる」とばかりに、表情を変えることもなく淡々と報告書を受け取る斎藤知事の様子を報じる映像を目にして、(「この人スゲーな」と)驚かされたのは私だけではないでしょう。

 さて、こうして百条委員会の結論が出て、いよいよ次のフェーズに入った観のある混乱の兵庫県政に関し、3月7日の日本経済新聞が「斎藤知事は百条委報告に向き合え」と題する社説を掲げています。

 兵庫県の斎藤元彦知事を告発した文書問題で、兵庫県議会の百条委員会が報告書をまとめた。告発された当事者の知事の対応には「客観性、公平性を欠き、大きな問題があった」とし(知事に)厳正に身を処すよう求める報告書に対し、斎藤知事は真摯に向き合い、公益通報制度をないがしろにした責任をどう考えるのか説明すべきだというのが当該社説の主張するところです。

 一方、調査結果に対し、知事は「対応に問題はない」との姿勢を変えていない。報告書は一つの見解(に過ぎない)とし、「違法性の判断は司法の場でされることだ」との認識だと社説はしています。しかし、「違法でなければ問題ない」という姿勢は、行政を担う政治家としての資質を疑わざるをえない。公益通報制度は組織の健全性を保つ一つの手段であり、その定着を促すのは行政の役割でもある。報告書が、「法令の趣旨を尊重して社会に規範を示すのが行政だ」と強調したのはもっともだというのが社説の見解です。

 にもかかわらず、斎藤知事ほか兵庫県当局はずさんな運用に終始したと社説は続けます。その結果、制度への信頼は毀損され、犠牲者を出す悲劇も生んだ。事の重大さは今国会で法改正が予定されていることをみても明らかであり、知事は法的な責任とは別に、こうした政治的、道義的な責任も負わねばならないということです。

 さて、得てして政治家という商売は、他人の指摘にいちいち動揺していたらやっていられないということもあるのでしょう。リーダーシップとは動じないこと。政治は選挙の結果がすべてであり、どんなことを言われても怖いものはないと考えているのかもしれません。

 トランプ氏然り、プーチン氏然り、習近平氏然り…最近の強力なリーダーは皆一方通行。巷のメディアや部外者にいくら「最低最悪」と言われ続けても、聞く耳を持たずに言いたいことだけを主張し続けられる(ツラの皮の厚い)人だけが、迷える世論を率いていけるということでしょうか。

 たとえ「自分勝手」と思われようが、「少し変わった人」と呼ばれようが、人とは違う自分を貫ける「鈍感力」は、確かに政治家としての突破力にはなるかもしれません。しかしその一方で、他社の立場を慮る「想像力」や声なき声に寄り添う「共感力」がなければ、住民に身近な地方自治の担い手とはなり得ないのもまた事実でしょう。

 これから先、有権者である兵庫県民はどのような判断を下すのか。「兵庫県の混乱と分断は、いま、憂うべき状態にある」と懸念を示す報告書を踏まえ、斎藤知事には、どうすれば県民の信頼を取り戻し県政を正常化できるのかしっかり考えてほしいと結ぶ社説の指摘を、私も(一定の)共感とともに読んだところです。



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