よしなしそこはか

心に映り行く由なし事をそこはかとなく書き作れば
高血圧、上腸間膜動脈解離との付き合い方を記します。釣り情報もね!

釣りの装備

2017-03-23 17:04:26 | 釣りその他


磯やサーフで釣りするときはこんな感じの装備でやってます。この時は南房サーフでルアーヒラメの後なので、足下は胴丈のウエーダーを履いてます。

釣り座でお会いしたら一声お願いします。
分かる範囲で情報交換させていただきます。

10年超の付き合い

2017-03-15 10:10:49 | クルマ


磯釣りに夢中になって自分のクルマが欲しくなり、外観に惚れて即決したのが2006年6月のこと。
それから大きな事故なく10年以上乗ってるマツダアテンザスポーツ 23EX。

この2月は次女のマーチングバンド定期演奏会で岡山まで遠征したり、その足で両親と娘を乗せて香川までうどんを食べに行ったり、はたまた初めての湯治ひとり旅で信州上田の鹿教湯温泉♨️に行ったりと4000km近く走りました。

現在103500kmですがどこも不具合はないですね。エンジンマウントがへたる時期かな?とは思いますが異音や変な振動は特にありません。
燃費悪化もなく高速だと15km/l、街走りでも10km/lを保っています。

アテンザはその後二世代もモデルチェンジしましたが、未だにエクステリアに古さは感じておりません(少なくとも自分は)。

現在ドライブレコーダーを検討中です。

まだまだ大事に乗ります。

マメちしき

2017-03-14 19:35:44 | よろず
tumblrで流れてきて非常に役立ったマメ知識を一つ。自分の備忘録として残します。

医学関連や工学関連などの情報を調べたいとき、俗にいう「まとめサイト」を排除し、論文や症例報告と言ったアカデミックな情報だけを検索するには、、、

検索文字列に続けて「”.ac.jp”」をつけて検索します。
””(ダブルクォーテーション)も忘れずに付けましょう。

試すと確かに論文のpdfが多く引っかかります。

もしお役に立てば幸いです。

スタジオジブリの立役者

2017-03-11 11:01:09 | よろず
ある晴れた日にFMをかけながらドライブをしていたとき。
2016年最大ヒットとなった「君の名は。」について、なぜそれほどに人を惹きつけたのか、リピートして鑑賞する人が多くいるのかをかなり上から目線で評価コメントをする人物がインタビューされており、率直に「なんだこの偉そうな感じの悪い映画評論家は!」と感じて記憶に残りました。

構成を担当した川村元気さんに対して、「無理やりハッピーエンドにする必要はあったのか?」とか「死後の世界を享楽を伴う幸せな世界として描くべきじゃない」とか、どんなバックグラウンドと自信からそのようにコメントできるのか知りたくなりました。

車を止めてRadicoの番組情報からその人物が 鈴木敏夫さんであることがわかり、早速Amazonで著作を幾つか検索し下記の本にたどり着きました。

ジブリの哲学――変わるものと変わらないもの
鈴木 敏夫
岩波書店


この本はこれまでインタビューで語ったコメントや、雑誌などに寄稿した記事を寄せ集めた形式で成り立っており、鈴木敏夫さんの「人となり」を理解するに適したものでした。
学生運動への参加や零細編集部への就職、その後の精力的な作家・監督・プロデューサーとの出会いと協業について、ご本人の語り口調と同様に熱いメッセージが多く掲載されており、多くの書籍に触れ、目の前に起こる事象への深い愛情のある考察がベースとなって先般の映画批評に繋がっていることが理解できました。

またこれまで数多くのジブリ作品を見てきましたが、ここで全面に押し出されるのは宮﨑駿監督、高畑勲監督、音楽の久石譲、そして演じる声優陣ばかりであり、「鈴木敏夫」というクレジットを意識してみたことはありませんでした。
しかしながらジブリ作品の骨組みを作り、作品として独り立ちさせるための肉付けを行っていたのは鈴木敏夫さんにほかならないことがわかります。

映画・アニメーション業界のことはよく知りませんが、やはり人を動かして作品を作り上げる土壌を構成するのは、スポンサーでありプロモーションでありマスコミへのプロモートであり、宮﨑駿監督の卓越した創造性と「少年の心」だけでは、これほど世に認知される作品群にはならなかったと思います。

またジブリ作品が国内のみならず海外で強い支持を得ることへの分析から、ニッポンという国の成り立ちや得意性まで考察が及び、興味深い内容が多くありました。

経営者としてこれほどまでに成功されている人だからこそ、著作も数多くあるので関連図書を読んでみたいと思います。

ジブリ作品に心動かされたことがある方にはおすすめします。


鹿教湯温泉 湯治一人旅

2017-03-01 15:06:36 | 健康

年末からどうも微熱が下がらず体調もイマイチで大好きな釣行にも行けてない昨今、家族が勧めてくれたおかげで一人で湯治旅に出かけました。場所は長野県上田市の鹿教湯温泉です。

高血圧症に効能がある温泉を検索してたどり着いたのがこちらでした。

上信越道の途中で念願だった「碓氷峠鉄道文化むら」に立ち寄り久しぶりに鉄魂を再燃させました。


天気に恵まれ晴れ渡った空に静態保存の189系電車が映えます。


手作り感満点の資料に温かみを感じます。

一番寒い季節ということもあり日曜日ながら入場者はまばらで、ゆっくりと展示車両を見て回ることができました。ただやはり雨ざらしで静態保存というのは技術的にも難しいらしく、何度も塗装の補修を繰り返されているようでEF80は腐食部分の研磨→パテ盛りの最中だったようです。

幾つかの客車・気動車・電車は車内にも入ることができて、寝台幅52cmの3段式B寝台車(10系)は昭和40年代に大阪駅で見た記憶が蘇ってきました。

1時間半ほどで展示物をすべて堪能して鹿教湯温泉に向かいます。今回宿としたのは国民宿舎 鹿月荘です。
低廉な価格ながら大変満足しました。過度な食事やスタッフのサービスはなく、気兼ねなく長期滞在ができると感じました。

当初は「何もしないで静養する」ことをテーマに取り混ぜて本を4冊持って行きましたが、どうやら鹿教湯温泉観光協会を調べると「21箇所 里山あるき」というスタンプラリーがあることがわかりました。

2連泊の中日はこれにチャレンジすることにし、フロントで集印帳(200円)を購入しました。


朝食を終えてスタートは8:30。温泉街の中心部であり観光協会にほど近い「温泉祖神」からスタートです。
足取りも軽く第2番の「湯坂・五台橋」に向かいますが指定された場所にスタンプがありません。。。


かつてはこの橋を渡って源泉近くの湯治場に足を運んでいたそうです。

仕方がないので第2番のスタンプを空白にしたまま第3番「文殊堂」以降に足を進めます。


第4番「みどり橋」から下を覗くと下はこんな感じで30mくらいはあるでしょうか。。


第5番「万年橋」。一度も流出したことがないことから万年橋だそうです。

第6番「秋葉神社」へは細い山道を登る事になっているのですが現在は閉鎖されていました。入口近くにスタンプボックスがあったのでそこでスタンプを押します。

第8番は「湯の里天神社」に名称変更されていました。次の第9番「諏訪神社」への細い上り坂で地元の方とすれ違ったので、ご挨拶をし21箇所里山あるきをやっていることをお話すると「この季節は足元が悪いかも」と教えていただきました。
合わせて「第2番のスタンプが見つからないのですが」とお話したところ、ご親切にも「観光協会に連絡してみる」とおっしゃってくださり、少々手前の飲泉場近くにあることを教えていただきました。(後ほどスタンプを押しに行きました。)

第10番「馬頭観世音」へはまた温泉街の中心地へ戻る方向で歩き続けます。
ここまでは舗装された道ばかりのお散歩コースで、まだ余裕がありました。が、次の第11番「月見堂」、第12番「稲荷神社」、第13番「展望台」への道のりが最初の難関でした。

地図には "曲がりくねった細い道" とだけ記載がありますが、まず入り口が夜間の動物避けのため閉鎖されています。施錠はされていないので開けて入りました。

枯れ葉が積もった本当に細い山道で徐々に勾配もキツくなっていきます。息が踊って汗が吹き出します。だんだん不安になりながら道なき道を登っていくと順番に11番から13番までスタンプを集めることができました。
展望台ではしばらく休憩しました。。。あーしんどいw


眼下には鹿教湯温泉街がこじんまりと広がっているのが一望できました。

次の第14番「権現社」へはトリミィロードと名付けられた健康増進を目的とした整備された道を歩きます。ここでストレッチなどしながら次へ備えます。というのは第15番「山の神橋」以降へはクルマで移動したほうが良い、とフロントの女性に勧められたためでした。
頑張って自分の足で向かいます。。。


天気に恵まれて抜けるような青空と日差しで、気温0度ながらポカポカでした。

国道254号の歩道を20分くらい歩き、第15番「山の神橋」に到着します。蛇足ですが254号といえば川越街道ですね。朝霞・新座あたりに住んでいたことがあり馴染み深い番号ですが、延長線上に鹿教湯温泉があるとは知りませんでした。


第15番「山の神橋」下ではいくつかの小さな沢が合流するポイントでした。このあと修行のような山道に入ります。。

写真を撮り忘れたのですが、第16番「万年九郎沼大明神」へは急勾配の山道を登ることになりますが、ここが日陰で積雪と凍結が全く溶けておらず履いていたスニーカーではかなり不安でした。クルマのトランクには磯釣りで使うスパイクシューズが積んでありますが、履き替えてくればよかったと後悔しました。

次の第17番「熊倉地蔵」は内村ダム近くで所要時間15分、と書いてありますがこれはムリです。。。積雪・凍結した山道を500m以上歩き続ける必要があり、途中から下り勾配になるので怖かったです(gkbr。ツルツルに凍ってました。


第18番「笠岩神社」の先、展望台から内村ダムを見下ろすと全面氷結していました。

第19番「内村ダム」のスタンプも集め、第20番「紅葉橋」へは再び温泉街に戻る道のりとなります。そして第21番「温泉薬師堂」は第3番「文殊堂」のすぐお隣でした。

本当は「健康広場での体操参加体験」と「クアハウス体験入浴」も制覇すると観光協会から粗品を贈呈いただけるそうなのですが、体験2箇所は省略させていただきました。

終了時刻は12:30。約4時間で13km近く走破しました。


歩数はさることながら「登った階数=101階」が笑えます。 山歩きの勾配を検知していたんですね。

達成感と筋肉疲労が訪れて宿についてすぐ温泉に浸かり、風呂上がりのビールを飲んで昼寝してしまいました。
そして夜中に太腿の筋肉がツッて目が覚めたことを白状しておきます(^^)

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3日間で温泉には合計8回浸かり毎回血圧測定を行って、たしかに低い値に落ち着き心拍数も低下したことを体感しました。
本来「湯治」で効果を期待する場合は最低でも一週間は滞在すべき、というのが常識でしょうが、今回2泊3日で気分と身体を切り替えることができて効果があったと思います。

加えて上田市から三才山トンネルを抜ければ、母親の実家である下伊那郡高森町まで100km程度だったので、久しぶりに訪れてご先祖様のお墓に線香を供え手を合わせて帰ってまいりました。


最寄り駅は飯田線下平駅です。

家族の理解のおかげで楽しい信濃路を味わうことができました。