湧き水があると思い出し、そこだけ見に行こうと!
なんとなく感じた。予感的中!
子供の頃は学校までこの道を歩いて通ったとか!
墓の話しとか、お元気ですねと言うと、何歳に見えると言われたので
少し若い目に80ですかと言うと、90ですと!(若い!)
湧き水があると思い出し、そこだけ見に行こうと!
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子供の頃は学校までこの道を歩いて通ったとか!
墓の話しとか、お元気ですねと言うと、何歳に見えると言われたので
少し若い目に80ですかと言うと、90ですと!(若い!)
金城橋(かなぐすくばし)と識名平(しちなんだ) 那覇市繁多川4-21
金城橋は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋。橋の創建年は不明であるが、1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文」建立)。1809年の洪水により損壊したが、翌年、橋は元の位置から少し下流で再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文」の碑が建立された。1945年(昭和20)の沖縄戦により、橋も碑も破壊された。現在残っている碑の残欠は、1985年(昭和60)、金城橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。
識名平は、金城橋から識名に至る坂のこと。呼称は方言の「しちなのひら」が転訛して「しちなんだ」となり、さらに坂の意味を加えて「しちなんだびら」ともいう。かつては、松並木の続く石畳の坂道であり、王家の別邸「識名園」に通じ、また、首里から島尻方面に至る幹線道路の一部でもあった。
この付近では、かつて金城川を遡って船の往来があった頃、宮古の人々が、海上安全を祈願して川岸の洞くつに魚の形を刻んだという伝承から「魚先原(いゆさちばる)」という地名や、川に身を投げた夫婦の怨念が人魂となって、坂の上から川岸まで漂うという「識名平の遺念火(いねんびー)」の伝承が残っている。
識名平の遺念火について、詳しくお知りになりたい方は ⇒ コチラから。