いつもの店で!
高嶺製糖工場は、大正元(1912)年に建設された沖縄初の機械製糖工場です。大正3(1914)年から非製糖期には与座ガーの湧水を利用して製氷も行っていました。工場敷地内の社宅には個別に電気が引かれていたほか、共同浴場・理容室・ビリヤード場・テニスコートなどの共用施設もあり、一つの字のようでした。
沖縄戦当時は、日本軍の命令でアルコール製造も行っていました。工場の煙突は、爆撃の目標になるとの理由で日本軍によって破壊され、工場施設は地上戦により門柱と糖蜜タンク以外は全て破壊されました。糖蜜タンクには所々に当時の銃弾痕が残っています。
戦後、与座ガーが米軍のワーラーポイント(取水所)となり、住民の立入禁止が禁止されたため、住民は旧製糖工場の跡地に居住し、製糖工場の経営会社と土地購入の交渉を行い、工場跡地を39坪ずつに区切り、希望者はくじ引きで土地を購入しました。
高嶺製糖工場跡は、日本の近代化に貢献した施設として評価され、経済産業省から「近代化産業遺産」に認定されています。