みりんの徒然声

日々、感じたことを日記や詩でお届けします

みりんの徒然草

2021-08-17 20:43:37 | 日記
久しぶりに本当に久しぶりに自分のブログを見つけて、苦笑した。文章が拙いし、かまってちゃん丸出しだ。若気のいたりというか恥ずかしい限りだ。恥ずかしついでに休み前日と言い訳して当時に戻ってみた。一度引っ越したが、縁あって私はまた、恥ずかしい頃のアパートにまた一人住みはさじめた。酒好きなのは変わらず、今はまっている漫画が文ストなので、久しぶりに本当に久しぶりに、リストカットなどしてみた。痛かったし、絶対ばれないようにしようと肩を切った、昔みたいに安心も満足もしなくて、いい歳してかっこわるいな、と笑った。相変わらず私は一人で、そして自由だ。数年ぶりの傷痕に乾杯して昨夜は眠った

みりんの徒然声 だってそれも嘘じゃない?

2017-05-14 01:17:58 | 日記
前回愛する気持ちを書いたけど、やっぱりあたしには人を愛する感情が欠落していると思う。いつからだろうね・・・。と思えど、考えた末やっぱり期待するのが怖いんだろうと自分を正当化する答えを導き出す。ダメね。でもさ、期待って怖いじゃない?色々なことを見て、知ってある程度大人になれば手放しで期待なんて出来ない。かと言って全く期待しない、と割り切れる程大人でもない。そういえば、遠く離れてる人がGWに会いに来ると言っていた。遠いし、どうせ無理だろうと思っていたが少し期待しているあたしもいた。面倒くさい(笑)結果はやっぱり口だけだった。だよねー、と思いつつ少し期待した自分にめちゃくちゃ腹が立った。人生良いことがあればラッキーくらいに生きなきゃダメだ。人を愛する気持ちもないくせに何かを期待してしまうひねくれ者にはまだまだ一人がお似合いのようだ。しかし、期待させるのも良くないと思う。あたしは期待もしないけど、期待もさせたくはない。うん。

みりんの徒然声 愛する気持ち

2017-04-30 01:55:28 | 日記
巷はGWに入り、久しぶりに大学の同級生達に会う予定ができた。嬉しいが皆、子持ちである。楽しいのに、どっと疲れてしまうのは子供の無限なまでのパワーのせいではなく、あたしが自分だけ子供のいないことに変に引け目を感じてしまうから。母親の持つ圧倒的な愛情と優しさが眩しくてくらくらする。最近、新たな人と話すことすら困難だ。なんであたしはこんなにも一人なんだろう?と考えてしまう。過去は美しいばかりで終わりがなくあたしは前に進めないまま、また子供達を目を細めて眺めるのだろう。かと言って、あたしに誰かを愛する気持ち等残ってはいなくて、恋愛とか言われても全くぴんとこなくて寂しいとか考えてもどうすることも出来ずあたしが子供みたいに地団駄を踏んでしまう。あたしの心はどこに忘れて来てしまったのだろう。

みりんの徒然声 花見第2段

2017-04-23 01:33:10 | 日記
今日もふらりと花見に出かけた。ネモフィラという青い花が満開の丘。青い花が大好きなあたしには桜より感動しちゃった。ネモフィラの青と空の青が地上と空の境目をあいまいにする。家族連れが多くて、おいしそうなお弁当を広げる脇を缶チューハイを片手に一人歩いた。自然は強い。あたしの今がどうであろうと関係ないのだ。ふと痛烈にもうわたには会えないのだと理解した。だいたい元カノの連絡にホイホイ乗るような奴ではない。過ぎたものは切り捨てる。だから良いのだ。今のあたしに連絡をとるような男なら執着などしない。矛盾しているけどこれでいいんだ。と理解した。ありがとう、さようならだ、と一面の青にそう呟いた。そしてわたも青が好きだったな、と笑った。覆水盆に還らず。一度壊れた物は二度と修復不可能だ。だからこそ人間は後悔して、慎重とか誠実とかを覚えるんだな、と大概遅すぎる気づきにまた笑った。二本目のお酒を飲んで、風が冷たくなるまでぼんやりと座りこんでいた。何かの雑誌の撮影が行われていてびっくりするくらい顔が小さくて華奢な金髪の女の子がファインダー越しに笑っていた。あんなに可愛くないけどあたしにもあんな頃があったのだ。露出された細い肩やお腹がまぶしい。学生時代あたしもあんなだった。隣にはわたがいて、まだタトゥーマニアじゃないあたしの肌はこの田舎の土地でも惜しみ無く太陽にさらされた。青に、さようならを告げたら全てどうでもよくなったし、やっぱりもうあたしはこれから一人だろう。悲観的ではない。自分で選んだこと。だからやっぱり誰にも迷惑がかからないように仕事を探そう。願わくは花のもとにて春死なむ。か、あたしはきっとネモフィラを求む。奇跡は起こらなかった。それでいい。ありがとう、さようならあたしの最後の恋。

みりんの徒然声 桜の森の満開の下

2017-04-18 10:59:08 | 日記
先週末、ふらりと花見に行った。昔よく行った天神岬というところだ。かつて観光地だったその公園は原発避難区域が解除されたばかりで人はほとんどいなかった。静かに過ぎる時間。昔、桜と言えば坂口安吾や、梶井基次郎の小説に影響され鬼だの、桜の下には死体が埋まっているなど騒いでいた幼いあたしを懐かしく思った。人間が原発だの何だの騒ごうと桜は変わらず美しく、鳥が飛び、ああ自然は強いなあ。としみじみ感じた。一般的な花見スポットとは違い親子連れもいなく、薄いピンク色の花弁の下あたしはいつまでも桜を眺め続けた。あたしも強くなりたい。桜みたいに、自然みたいに。何に惑わされることもなく、傲ることもなく、妬むこともなく、只両腕を広げて。桜と、所々にある立ち入り禁止の看板がミスマッチで不思議な気分になった。あたしはこんなにも一人でこんなにも自由だ。