明けまして新年おめでとうございます。
元旦とは?そのものが1月1日を指す言葉となっているもので、言葉の意味(「旦」の字は地平線から昇る太陽を表す)自体が失われたわけではない。
阿蘇道場の研修日誌を掲載しているが、今朝は戦時体制の華やかりし時代の正月三ヶ日の様子を推測することにする。
二十一世紀の今日、正月の神社への初詣の様子は報道するマスコミの数も多く、そのため各地の神社は人出の多さを競っているようにさえ感じられる。
七十年の昔は阿蘇神社への初詣を報道するマスコミもなく、阿蘇神社参りもひっそりとしていたようである。
昭和十八年一月阿蘇道場行きの日誌から三ケ日の様子
一月一日
上野氏と小生とのみにて正月を迎う。国旗掲揚、終りし時、根子岳よりさし上る初日の出を拝す、宮地の官幣大社阿蘇神社に参拝す。 (浜田記す)
一月二日 快晴 寒風強し
本日上野氏退場、後は小生一人、やや淋し。
一月三日
明日より、内牧町民の練成会がこの道場で行われるので、五高生も五名(高橋、高江場、井上(宏)、副島、浜田)も之に加はることになり、夕方来場少々の準備を行う。夕食後池田一幸先生を取り囲んで、初の四方山の話より次第に自然科学、天文学のお話を伺う。後、井上、高橋と浜田と神・霊のことに関して大激論となる。五高生のひさし振りの大論争に池田先生もよろこばれる。午後十一時論を一応止めて寝に
正月とは、年の始めの数日間のことを言って本来は1月の別名が「正月」であるそうだ。
1月1日から1月3日までを3ヶ日と言い、1月7日までを松の内、あるいは松七日を「正月」と言っている。
20日までを正月とすることもあり、いまでも1月20日をはつか正月と呼び新年のお祝いをする所もあるそうである。
阿蘇道場日誌では昭和18年軍事態勢華やかし頃であった丁度1月1日の様子が記載させているのでそれを転載し阿蘇神社など偲ぶことにする。