五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

建国記念日について

2013-01-18 03:47:32 | 五高の歴史

阿蘇道場日誌では丁度紀元節の時期であり昭和十八年二月十一日は水曜日で阿蘇道場行は行われていない。ここでは紀元節の想い出を振り返った。

建国記念日 二月十一日、昔の紀元節、紀元節の歌はあまり思い出せないが「雲にそびえる高千穂の・・・・・・・」云々といった歌い出しであったと思うが小学校で幼心に唄った記憶がある。

ここに掲載している日誌の五高阿蘇道場は昭和十五年の紀元二千六百年を祝して五高同窓会から五高龍南会に寄贈されたものである、

紀元節の制定は明治五年(1872)十二月、明治政府によって定められた神武天皇即位日の祝日。明治六年三月紀元節と命名されている。

これは歴史的には根拠があいまいな祝日であるが、天皇を中心とした国家支配の正当性を国の内外に誇示する事が目的であった。

大日本帝国憲法の発布は明治二十二年、金鵄勲章千八百九十年二月十一日の紀元節に制定が行われている。

昭和に入ると在郷軍人会、青年団・学校生徒を中心とする建国祭行事が各地で行われた。

この二月十一日の紀元節は国家主義や軍国主義の宣伝に大きな役割を果たした。

戦後は日本国憲法の理念にふさわしくないものとして廃止されたが、佐藤栄作内閣時代に、この二月十一日を「建国記念の日」とすることが制定された