阿蘇道場行の日誌を掲載してきたが、俺の新年会の司会も終わり今朝からは再び阿蘇行きの様子を掲げる。現代の学校生活は例外を除き週休二日制であり、土、日の二日間が休みである。
五高に置いては組別の道場行では週休二日制が取り入れられ道場行の行事は大体次の通りになっていた。
しかし殆どの土曜日は午前中の授業が実施されていたので立田口駅発が午後一時台の出発で二日目の帰りは道場発が四時の出発で半日の遅れで実施されていた。
道場に於ける修行の模様は以下の如くであった。以下は阿蘇道場主任であった飯島先生の報告から。
初日、午前8時9分立田口駅発、内牧駅より徒歩、10時30分道場着、手を洗い、国旗掲揚、宮城遥拝、足を洗って、神前礼拝(二拝二拍手一拝)ふき掃除11時30分持参の弁当、12時30分から3時まで作業、3時30分より5時まで入浴等、5時国旗降納、その後静坐、6時夕食、7時から8時30分訓話座談等、8時30分より9時静坐、掃除、9時30分就寝
翌日二日目、5時起床、洗面、ふき掃除、神前へ供物、礼拝相互の朝の挨拶、国旗掲揚、宮城遥拝、青少年に賜利たる勅語奉読体操、静坐、7時朝食、8時から11時30分作業、正午中食、掃除して道場出発1じ58分の内牧駅発帰熊
これから見ても全くの規則ずくめで先に日誌で不満を書いている生徒もあったが、その通りで学生の方はよくついて行ったんだなあと改めて感心させられた。
参考として西寮の総代であった高妻氏の日誌を掲げる
一から十まで規則蓋し生活は確かに辛いところもある、然し団体の一員としてそれをやる時には又別の愉快さがある吾々上級生で便所掃除を引受けたが日頃汚いと思っていた便所もやって見ると反って他の所より励みが出る。何事も自分達の手でというので食事も御飯と味噌汁作って貰うだけで凡て相互の手でやった。僅かに二十七八人分の食器を並べたり片つけたりするのに随分ひまどったが寮の賄諸君の日に三度、年中二百数十名の食器を上げ下げするだけでも並大抵でないであろう食事の後二三十分火鉢を囲んで語り合うのも又実に愉快であった。ここに本当の休息の感じもわかる様な気がした、団体生活には和気朗々たる気分が大切である。例は無言の静坐の場合に於いても共に坐るという励みの気持ちになってくる、個人が全体の一部としてうける制約に対し少しの不満も感じないばかりでなく進んでよりよき一部たらんとする時こそ理想的な社会が生まれるかような団体訓練はその理想に近づく一歩ではなかろうか、昨年夏道場建設の議が公表されたとき、総務たちが叫ぶが如き理想が果たして実現されるか、単に阿蘇登山又は外輪跋渉の根城となる位が精々だろうと危うんでいたのだが今度の道場行で堅苦しくもなく愉快に而も理想に近き生活を為し得た事によって少なくとも前の杞憂は消えた。
阿蘇登山外輪跋渉の途次一泊するも可、然しその一夜に就いても活用すれば如何にでも又特別な方法で道場としての特質を生かして行くことが出来よう。一人で来て活用する方法もあろう。然しまず進めたいのは道場に於ける団体生活である。末筆ながら飯島、竹原両先生のご指導を厚く感謝します。