五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

京都大学火山研究センター

2013-01-04 04:16:37 | 五高の歴史

昭和18年の阿蘇道場日誌がまだ少々残っているので今朝はそれを掲載することにしました。

一月四日
晴れるも寒風清、最近でもっとも寒しと、午前七時内牧町民、大挙して道場に乗り込むと共に掃除、朝礼、国旗掲揚、坐禅を行う。本朝食は、玄米の粥、誰しも初めての事とて少し平口していたらしい。午前中飯島教授の「十二時法語」より種々の生活に対する心構えについてお話。昼食は朝の玄米粥の残り。午後は道普請、大いに仕事はかどる。流石はお手のもの、

午後には内牧の京大火山温泉研究所の灘波さんより火山に関するお話を伺う。難解にて少々困る。研究に熱心なることに対して皆一同頭が下がる。
尚灘波さんは教育、宗教、にも関心を以っておられ種々お話さる。夕食に又玄米食、飯島教授の奥様、態々道場にお越しになり、玄米の炊き出しをさる。奥様十五年に渡る玄米食の大家たるだけある。美味しく、皆玄米食をやらんと意気込む。夜町民五高生を合わしての座談会、真摯な、真面目に生きようとする決意をかためる、十一時半就寝。

一月五日 昨夜猛雪、四面白衣
例の如く掃除神祈、国旗掲揚、坐禅、朝食昨夜と同じく玄米粥、少休の後、校長先生の御講話、例の如く境涯を練る。腹を作ることの肝要なるを力説する、

即ち道場は知識を受ける迄に非ず、境涯を練る迄になること即ち声を観ること、ーーー心眼を開くこと、即ち道場の目的なること。坐禅とは坐禅することに非ず。お経を読むことにも非ず。唯自己の仕事になりきること、地獄、極楽は自己の中に実在すること。歴史を超越した極楽に住すべきこと。換言すれば自己が仏、神になった気持ちで生活に精進することが最も肝要なることを力説さる。損徳を批判の基準におかず、恥を考えて行動すること、即ち大我に成仏しきって行動することを説駆る。唯、我等感ずるのみ、精進あるのみ、

正午昼食を戴き、町民の方々に今度の道場に於ける練成会に対する感想文を書いて戴き一同下山さる。高橋、高江場、井上、二時の汽車にて帰熊、飯島先生後にのこらる。

 

戦時体制の華やかしの時代でありますが、文章には麗句を多用して作文することが盛んであったようです。

添野校長の講話は阿蘇道場は知識を受けるところ則ち勉強するところではなく自分を人間として磨くところであるとの話です、これは現代にも通じる所があるようです。

旧制高等学校の歴史を振り返ると四月から新学期を迎えるようになったのは遥か大正十年からです。それ以前は五高は創設以来7月卒業で9月入学でした。

近頃この9月入学制度を導入しようと東京大学が決定したとかの話題があります。

京都大学火山研究センターは、昭和3(1928)年に大学初の火山研究所として設立され、約80年間にわたり阿蘇火山の研究を続けてきました。

こうした研究を通して得られた成果を広く一般の方々に知っていただくため、毎年一般見学会が開催されています。