昭和十八年二月十三~十四日の研修は花陵会である。五高花陵会は明治期にキリスト教を信ずるものが集まり結成した。花陵会は現在も続いている。五高西側に会館がある。五高・熊大キリスト者の青春 : 花陵会100年史. 花陵会100年史編集委員会編. 熊本 大学YMCA花陵会, 1996.12. タイトル別名. Kwaryokwai. タイトル読み. ゴコウ ・ クマダイ キリストシャ ノ セイシュン : カリョウカイ 100ネンシ ・・・熊大西側に位置する会館はこの百年を記念して改修されて綺麗な建物が建っている。
二月十三日(土) 快晴 北村一也
二、三日来の厳しい寒さも、今日は快晴に恵まれて、青空を仰ぐ心にもあたたかい光のさしこむのを感じる。
飯島先生特別なお取り計らいで、花陵会の道場修養を為す。龍田口駅より先生と共に六名、大自然の懐へ憧れの出発、車窓より仰ぐ阿蘇の白雪に、身を雪の肌に潔められる思いがする。先生は一歩先にバスで内牧町へ行かれ・残る五名、道場へむかう。道場着四時半、直ちに国旗掲揚を為し、掃除を行う。この頃先生も到着され、掃除終わって、しばし火鉢を囲んで駄弁る。六時二十分より坐禅三十分、終わる頃二名の者、遅ればせに到着、
直ちに、賛美歌(五三九)を歌い、夕拝を為す。聖書、詩篇第十九篇を読み、大阿蘇の壮大を膽上げ再び賛美歌の声を挙げる(賛美歌三七九)。七時過ぎて夕食を戴く。しばし休息して、八時頃より火鉢二つを囲みて既に文化日にて研究せる、ヨブ記を中心に各自現在の心境を披瀝する。裸で生まれ、裸で死にゆく人間である。然も現みの今、何故我々は着物を着んとするのであろうか。裸のわれをみつめることを回避せんとの努力――観念、感傷――現実に直面して戦いはないものは幻影と戦わねばならない(キエルケゴール)。胸の奥底から根底的に反省せしめられる。十時過ぎ、ルッターの「神に我がやぐら・・・・」を力強く歌いて会を閉づ。十一時一日の感謝と歓喜に声をふるはしてコーラスを歌い就寝。
二月十四日(日) 晴
五時半床を蹴って起きる。
満天の星空にさだかならぬ夜道を辿る吾、一つの黙示のささやきを感じる。彼方に黒く重く五嶽の佛の姿が沈んで見える。表へ出ると、冷気肌をつんざくばかり、昨日使った雑巾がカチカチに凍りついている。寒さ、冷たさ、気を一つにして掃除に、体にほんのり汗ばむのを感じる。終わって神前にて礼拝を捧げ、直ちに坐禅をする。坐禅――それは物を思わぬ努力である。然も物を思わぬ努力は既に物を思うに他ならぬ。然り、それは気を擬して一つと為るところになければならぬ。基督者の祈りの應々にして美辞麗句、理論弁舌に終わるを見る。全身を以って祈る。之実に坐禅の真髄であろうと考える。日本類型としての基督教が、その行的鍛錬の一表現として、妥協に於いてで為く真実に坐禅の本旨が取り入れられて然るべきであると感じた。
三十分の坐禅を終へて眼を開くれば然として五嶽の姿眼前に現れ、白雪に朝日影の映えるに清新の気の胸に注がれる思いに充ちる。終わって再び中央道場に集いて祈祷会を開きおのもおのも感謝の決意とを祈り合う。
凍りついた黒土に快い靴音を噛ませて掲揚台へ向う。国旗掲揚、東方遥拝、宣戦之大証奉読(飯島先生)、終って天にもとどけと体操を行う。八時半朝食を戴く、九時より再び火鉢を囲みて談じ合う。
パウロもルッターも行為を極力否定した。信仰によりて義とせらる。之彼等の信仰の根幹であった。然しその否定は単なる否定にあらず、より高き行為の為の否定に外ならなかった。プロテスタント教会に於いて、尚この〝信仰のみ“の一面のみが強調されているのではないか。律法主義者と軌を一にするパリサイの徒の多きを思うーー然り、最も近き吾人一人一人の中に。観念、理論の世界に彷徨して得々然たる吾々ではないか。真の宗教、それは信仰と倫理とを包括するところに打ち樹たられねばならぬ。そして、むしろ吾人の如き凡人は、手と足もて、旬う行いモテゆくことより始めねばならないのだ。聖書が観念なのではない、吾々が観念であるのだ。日々の生活の一瞬間毎に裸になさしめられたい。決断せしめられたい。置かれている現実を直視する勇気を与へられたい。此処に於いて真実に戦いつつある祖国の体温をこの身に如実に感ぜしめられたい。
―――十一時半。重き腰を挙げ、道場東側の小溝の橋渡しをする。丸太二本を渡して終る、十二時昼食を戴き一時豊かなりし体験を謝しつつ山を下る。飯島先生は後に残られる。
思いてペンを執れば感湧きて盡きざるものがある。ただ吾人の祈りはかくあり度い。「もし我が兄弟が我が骨肉の為にならんには、我、自ら詛はれてキリストに棄てらるるも亦ねがう所なり。」(ロマ書九章三節)