五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

阿蘇道場日誌から

2013-01-22 04:09:58 | 五高の歴史

阿蘇道場の道場行(研修)に関して参加する学生の気持ちというか、その精神状態について西寮総代の高妻氏の感想というべき日誌がある。規則に縛られている道場生活についての不満を中心に昭和十七~十八年戦時中の学生の心意気を汲取ってみたい。

一から十まで規則蓋し生活は確かに辛いところもある、然し団体の一員としてそれをやる時には又別の愉快さがある吾々上級生で便所掃除を引受けたが日頃汚いと思っていた便所もやって見ると反って他の所より励みが出る。

何事も自分達の手でというので食事も御飯と味噌汁作って貰うだけで凡て相互の手でやった。僅かに二十七八人分の食器を並べたり片つけたりするのに随分ひまどったが寮の賄諸君の日に三度、年中二百数十名の食器を上げ下げするだけでも並大抵でないであろう食事の後二三十分火鉢を囲んで語り合うのも又実に愉快であった。ここに本当の休息の感じもわかる様な気がした、

団体生活には和気朗々たる気分が大切である。例は無言の静坐の場合に於いても共に坐るという励みの気持ちになってくる、個人が全体の一部としてうける制約に対し少しの不満も感じないばかりでなく進んでよりよき一部たらんとする時こそ理想的な社会が生まれるかような団体訓練はその理想に近づく一歩ではなかろうか、昨年夏道場建設の議が公表されたとき、総務たちが叫ぶが如き理想が果たして実現されるか、単に阿蘇登山又は外輪跋渉の根城となる位が精々だろうと危うんでいたのだが今度の道場行で堅苦しくもなく愉快に而も理想に近き生活を為し得た事によって少なくとも前の杞憂は消えた。

阿蘇登山外輪跋渉の途次一泊するも可、然しその一夜に就いても活用すれば如何にでも又特別な方法で道場としての特質を生かして行くことが出来よう。一人で来て活用する方法もあろう。然しまず進めたいのは道場に於ける団体生活である。末筆ながら飯島、竹原両先生のご指導を厚く感謝します(西寮総代高妻)

飯島先生は道場主任で責任者、竹原先生は青年心理の先生で後には教育学部の教授であった。