五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の歴史から軍人の横暴を覗く

2014-04-10 06:02:29 | 五高の歴史
先日自転車を倒した時支えた右肩を中心とした部分が未だに痛い。50肩と言われたのは3ケ月位前になろうか、それ以後週に一回は東洋整体でも大分体をほぐしてもらっているが、どうもその50肩の部分を打ったようである。年を重ねるという事は嫌なことである。若いときであれば痛い処を無理して運動でもすればどうにかなっていたが、そのような無理は効かないようになってしまった。

今朝は五高の歴史から五高生に対する軍人の横暴について述べてみたい

昭和十七年五月二日は五高生待望の阿蘇登山が行われた。この日は運悪く雨で旅館蘇峰館で宿泊し翌日は雨の中を登山した。下山途中草千里を通り山上神社前茶店で昼食を取りそしてその茶店の前でストームを行った。二台の登山バスを止めて バスをぶん殴ったり屋根に上り踊り狂った。帰途の責任者総代は自分たちが悪いのでバス会社に損害賠償を試みた。その結果弁償金の総計はガラス三枚破損、屋根(布製)から雨が漏る。二日間の休車等々で・・合計修理代五百九十七円に及んだ。

ところが坊中の駅で一軍人に呼ばれて「自分は公務で大分まで行った帰りであるが、自分の乗っていたバスに対してかかる行為をしたのは遺憾である。しかるべき人を通じて校長に言い渡すから予め承知しておいてくれ。予め云っておかんと諸君がびっくりするだろうから云っておく」この軍人の言動は甚だ傲慢、非礼な所が見えた彼の云うには「自分の乗っておらぬ車ならやってもよかろう」「自分は公務中で・・・」とか 一、交通妨害になること 二、軍人の乗っている車を止めた事、三、新体制をはき違えている、等々を非難した。

「私は直接学校に来たと言う高橋と言う人より、兵器廠とやらのあの軍人に非常な憤怒を感じる。一体バスを止めると言う事は帝國軍人を侮辱していると言った。しかもその帝国軍人が背信行為をすることこそ最もその栄誉を汚すものではないか。熊本駅頭に彼を探して、吾々は寮のために頭を下げて彼に頼んだ。云いたい事も云わなかった。只謝したのだ。実際我々としてはあの時不愉快でたまらなかった。何度爆発しようとしたかもしれない。それ程にしてまで彼に頼み、彼から「では自分の胸に秘めておく」との言を聞いて我々は安心したのだった。我々は「帝國軍人」を振りかざして威張り散らす人がまさか嘘をつくとは思わなかったからだ。彼の名誉の為に彼の名はここには記さない。自分一人の胸に秘めておく。だが何という人間だろう。否人間でさえないかも知れぬ。兎に角大人の世間は醜い。軍人だって信用はおけない。現在の世界情勢にあっては、確かに軍人の力は時局推進の一力である。現時局こそ最も所謂軍人の反省する時期である。軍人が時代の波に乗ってうかれる様では駄目だ。兎に角大人も軍人も到底頼むべきでない。窮極の国力の推進は吾々文化層にある青年の手に拠って為さるべきだ。その意味で高校生は奮起すべきである。」

五高に於いてさえこのようなことであったので軍部の横暴は酷かったのだろう。いわゆる民主主義ではなかったのである。兵隊では上官の命令は天皇の命令と心得よと言われていたようにこのような状態であったので戦争は敗けるべくして敗けたのである。しかし現在の世のようにアメリカに従属ばかりの状態ではまた昔に返らないとも限らない。人々は心せよと言いたい。

ついでながら裏の道路との境界のブロック塀の工事について眺めて見ると4段目までは出来たようである。あと3段か、長さが50メーター近くなるとブロックを積むことも大事のようで、洪水でもあって一辺に倒れてしまっても仕舞えば大変であるし工事やさんもそれらのことも考慮しての工事である。鉄筋を入れての補強、出来上がれば最新のブロックで見栄えもよくなる事であろう。