五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高に於ける勤労奉仕の始まりと教練の強化

2014-04-20 04:08:43 | 五高の歴史
しばらく五高の歴史はお留守にしていたので今朝は五高における勤労奉仕と教練を眺めて見たい。

勤労奉仕作業の始まりは昭和十三年八月三十日からでこれは曽てなかったことで、この年から初めて開始された。毎朝五時に起床して朝食を終わり室園まで歩き無蓋電車で陸軍用地菊池飛行場建設予定地まで行く、帰寮は午後四時となり入浴、夕食九時点検という規則正しい生活であった。作業は桑株の除去作業で師弟とも一致して汗と土にまみれての生活は崇高であった。

学校教練の強化は年々実行され閲兵分列式が時々行われ、東京で学生に対する御親閲が五月二十二日実施された時には、五高からも数名が代表として参加した。しかしこの教練の強化は配属将校や教練教官の横暴につながっていった。

十月の記念晩餐会は恰も「銃後強調週間」にあたっており生徒主事からは諸種の注意があっていた。この時代校長と生徒主事は既に時局認識を持っていたが、寮生にはまだ強調された認識に過ぎなかった。この時代日本は中国を侵略し十月二十七日には中国漢口を占領し、国民的感激にひたりストームが行われた、提灯行列も行われた。二十九日にはヒットラーユーゲントの来日がありジャーナリストの恐ろしいまでの歓迎には眉をひそめている。