久々にmixiの日記を読み返した。
少し泣いた。
母が最初に倒れたこの日から遠距離介護がスタートしたのだった。
だけど当時の私はまだ能天気で日記には歌のことや芝居のことをせっせ、せっせと書き綴っていた。
思えばこの頃、母が死んでしまうなんてことはこれっぽっちも考えてなかったんだ。
この8年で何かが変わってしまった。
いや!「何か」なんて言ってるけど、それが何かはよーく分かってる。
このままでいいはずはない。
日記を読み返しながらそう思えてきた。
このままでいいはずはない…
9月30日
父と母の納骨をしてきた。
お墓の中に仲良く並んだ二つの骨壷が強い陽射しを受け
やけに眩しく輝いていた。
「こうして見てるとkintaさんのうれしそうな笑い声が聞こえてくるようだね!」
と、父の演劇研究所の人が言った。
本当にそう思えた。やっとおばあちゃんと一緒に居られるね。
おばあちゃんはやれやれ、また賑やかくなる・・と苦笑いかな。
正直言って、お墓に何の意味も感じたことはなかった。
両親とお墓参りに行った経験も無いし、
自分は樹木葬にするつもりでいるし。
でも、二人のお骨を納めたお墓を見ていたら心がフッと軽くなるのを感じた。
此処が二人の居るべき場所なのだなという思いがこみあげてきた。
昨日からこの数年味わったことのない解放感を感じている。
素直に泣ける自分がいる。
これは父が死ぬ前日までつけていた日記だ。
人生の最終章をどこで迎えたいか?
どう迎えたいか、は決められないけど、
どこで迎えるかは考えておかなければと思うのだけど。
これは父の1/25(2泊3日のショートステイ先での)日記の抜粋・・・
初めて気付いたのは
普段桜町の自宅で、ひとりいつものところで、ベランダの方を見ながら
一日中退屈したナと考えたことが一度もなかったということは、どうしたことなのであろう。
あの部屋あの場所でFが居なくなってから1年以上も経ったというのに、
Kはそんなことを一年以上も考えもしなかったのはどうしたことなのだろうか。
ところがここに来て一晩も泊まる前にやりきれなくなる程時間の経過を考えるとは
どうしたことであろう。桜町と此処とどう違うのだと云うのだ。
ここにきてたった1日、もうやり切れない退屈さに在るとは!
自分でもさっぱり判らない、ここでのひとりぼっちと桜町とどう違うのだ。
理屈なしに感じるのは、桜町では考えもしなかったことを、ここでは感じて
しまったと云うこと。自分でもよくわからない、ただ桜町では無心に独りだった
のにここでは存在自体、退屈で仕様がないという事実。
アルツハイマーが進んで一人暮らしが出来なくなった場合
最終的にはここの施設に入所を希望しようと思っていた。
父も同意していたので慣れるため、
そして施設側にも元気な時の父を知ってもらうため
ひと月に1度ショートステイをしていたのだ。
希望通り個室で、職員の若者(と父は呼んでいた)と会話を交わし
CDや本も持ち込み、車椅子で散歩に連れ出してもらい
「退屈」もいい刺激になったのだと思う。
2年前にはまとまった文章を書くことが出来なくなっていた父が
こんな文章をまた書けるようになったのだから。
「まだ一人で大丈夫だよね?」と父は会うたびに言っていた。
「ひと月に一度行くのと暮すのでは全然違うからね」と。
施設で暮らす、という選択肢もありだと私は思っている。
ただし自分の意志で選択するのなら、だ。
「グッド・ハーブ」を観てもう何日も経つのにまだひっかかってる・・・・・。
夕方、大分空港の手荷物検査所の列に並んでいた。
ゲートが1つだけなので列はなかなか進まない。
私の前にいる女性を見送りに来ていたのだろう。
もうオジーサンに差しかかった年配の父親らしき人が
ロープの外からしきりに彼女に話しかけている。
列が進まないことに気を取られていたから
話しの内容は聞いていなかったが、
「しっかりやるんだぞ!」と言いながら
握手をしようと手を伸ばしたのが見えた。。
しかし私の前の彼女は列の先の方に視線をやっていて、
そのことに気づかなかったようだ。
行き場がなくなった手を引っ込めたオトーサンは、
照れて顔を赤くしながら
「お前の乗る飛行機はさっきの名古屋行きより大きいのか?」
などとまた話しかけている。
列がゲートの奥に進み始めた時、
思わず前の女性に声をかけていた。
お父さんが差し伸べていた手に気がつかなかったのなら
教えてあげなきゃ、と思ったから…。
彼女は気づいていた、と言った。
見ないふりをして拒否したのだ。
「そうだったの、ゴメンナサイネ。」
「いいえ…」
彼女の横顔を見ながら、これは私だ!と思った。
10代の頃から、ついこの間まで、父を嫌っていた私だ。
彼女と見送りに来ていた父親の間に何があったか知らない。
多分、悪いのは父親だろうと勝手に私は決めつける。
でも、手を差し伸べた時のお父さんが
ブキッチョで一生懸命だったのを私は見てしまった。
とても握手に慣れている人には見えなかった。
いろいろあるもんな…仕方ないな…
胸の中で呟きながら私は悲しかった。
父の「始末」の仕上げで昨日から諸手続をしている。
父や私の謄本や除籍票や住民票やなんやら持ってアッチコッチ行く
そして必ず一回で済まないのが郵便局
親が再婚していたり一人っ子だったりする人は要注意
母の時にも3回くらいややこしい証明を要求され懲りていたから、今度こそ!と事前に窓口で確認していたにもかかわらず…持って行った書類では一人っ子という証明に不足だと
そういうことは先に説明しろ
いえ、お願いだからちゃんと調べてから説明してください
僕たちも謄本のことはよくわからないんでなんて言い訳しないでよ