オットがこんなものを持って帰って来る。
1個ずつ増えてる。
「オトーがこんなモン持ってくる」と娘に写メ送ったら
こんな写メが返ってきた
これは父が死ぬ前日までつけていた日記だ。
人生の最終章をどこで迎えたいか?
どう迎えたいか、は決められないけど、
どこで迎えるかは考えておかなければと思うのだけど。
これは父の1/25(2泊3日のショートステイ先での)日記の抜粋・・・
初めて気付いたのは
普段桜町の自宅で、ひとりいつものところで、ベランダの方を見ながら
一日中退屈したナと考えたことが一度もなかったということは、どうしたことなのであろう。
あの部屋あの場所でFが居なくなってから1年以上も経ったというのに、
Kはそんなことを一年以上も考えもしなかったのはどうしたことなのだろうか。
ところがここに来て一晩も泊まる前にやりきれなくなる程時間の経過を考えるとは
どうしたことであろう。桜町と此処とどう違うのだと云うのだ。
ここにきてたった1日、もうやり切れない退屈さに在るとは!
自分でもさっぱり判らない、ここでのひとりぼっちと桜町とどう違うのだ。
理屈なしに感じるのは、桜町では考えもしなかったことを、ここでは感じて
しまったと云うこと。自分でもよくわからない、ただ桜町では無心に独りだった
のにここでは存在自体、退屈で仕様がないという事実。
アルツハイマーが進んで一人暮らしが出来なくなった場合
最終的にはここの施設に入所を希望しようと思っていた。
父も同意していたので慣れるため、
そして施設側にも元気な時の父を知ってもらうため
ひと月に1度ショートステイをしていたのだ。
希望通り個室で、職員の若者(と父は呼んでいた)と会話を交わし
CDや本も持ち込み、車椅子で散歩に連れ出してもらい
「退屈」もいい刺激になったのだと思う。
2年前にはまとまった文章を書くことが出来なくなっていた父が
こんな文章をまた書けるようになったのだから。
「まだ一人で大丈夫だよね?」と父は会うたびに言っていた。
「ひと月に一度行くのと暮すのでは全然違うからね」と。
施設で暮らす、という選択肢もありだと私は思っている。
ただし自分の意志で選択するのなら、だ。
「グッド・ハーブ」を観てもう何日も経つのにまだひっかかってる・・・・・。
昨日のグッド・ハーブで、もう一度聴きたかった台詞。
それはアルツハイマー型認知症だと知ったララが
娘ダリアにむかって言った言葉。
「誰かに依存する人になりたくない。
病人ばかりのさびしい場所に行くのもいや。
幼稚園児のようなリハビリもいや。
荷物みたいに扱われたくない。
誰にもそんなことをゆるさないで」
この台詞は胸にドンと来た。
この映画が重いテーマを扱っているにもかかわらず
見終わった後なぜ落ち込まなかったか。
それはこのララの願いを、周囲の女たちがしっかり支えていたから・・・。
最後のシーンをどう受け止めるか、そりゃいろいろあるだろうけど、
わたしは受け止めないことにした。
それにしても・・・
最近の映画ってほとんどが1回こっきりの入れ替え制でつまらない
もう一度あそこのあの台詞を聴きたい、
あのシーンを観てから帰りたい、
と思ってもダメなんだもの。
タイトルに惹かれ観てきたメキシコ映画。
メインの母と娘のストーリーはかなり深刻だし、
メキシコの社会問題もしっかり見えてくる。
とってもリアルな物語なのだけど
美しい映像、心地いい音楽、素晴らしい女優たちにすっかり魅了された。
ハーブ研究者の母親ララの家の庭はもちろん、
机の色や細工のはいった椅子
外壁に掛けられた大小様々なブリキの盥
薬草図鑑(?)の中の植物の素朴で愛らしいイラスト
干したり漬けられたりしたハーブ
そんな小道具たちを見ているのもとても楽しかった。
アルツハイマーで崩壊していくママと介護する娘の物語なのに
楽しかった、なんて変かな。
最後のシーンは「えっ」だし・・・
それにしても・・・
今日の観客はわたし一人だった・・・悲しい。
場所はシネマート六本木
http://www.action-inc.co.jp/hierbas/trailer.html