photo by sumi氏
悲しいお知らせです。
かよたんが 3月30日永眠いたしました。
妻は享年50才、 100年分くらいの愛と大らかな優しさを家族や周囲、ご友人へふりまいてくれました。
夫の私はその10分の1も応えることができたでしょうか、いいえ答えはまだ見つかりません。
昨年の 6月から身体のだるさや熱で風邪のような症状を訴えていましたが、市内の病院に二度目の入院
検査をした時に「急性リンパ性白血病」と診断され、即日福岡市の大学病院へ転院致しました。
すぐに抗癌治療が始められ、骨髄移植のためのドナー探しとなりました。
数週間後には白血病の中でも難治性の高い「フィラデルフィア染色体陽性」ということも分かりましたが、
妻は前向きに生きる希望を強く持ちながら、家族だけの面会が許される無菌病棟で辛く長い闘病が始まりました。
12月中旬に最初の骨髄移植をして、正月頃には各血球の造血が始まる「生着」が見られましたが、移植
を拒む拒絶反応が起こりました。
骨髄移植はそもそも近代の医学でも解明できていない部分が多いという安全で確立した治療の方法ではなく、
治癒生存に向けた賭けであったのです。
骨髄移植を受け入れるための免疫抑制剤の投与でほぼ無防備になった身体に、さらに白血球が喰われて
いく危険な状況の中で、希望を賭け 2月初旬には短期間に二度目の骨髄移植が施されました。
骨髄移植の辛い副作用を乗り越えようとする頃、恐れていた合併症の肺炎の症状が俄かに現れ、妻の頑張り
と昼夜を忘れた医療チームの懸命な努力も空しく帰らぬ人となりました。
学生時代には水泳や合気道をやっていたほど病気知らずの体育会系の体格でした。
私とも共通の趣味を持ち、山登りやそれぞれにカメラを持ち写真撮影によく出かけたものでした。
また性格は周囲に思いやりができる優しい人でもありました。今までの職場では皆さんに慕われ、病院でも患者
さんや看護師、医師にも人気者だったといいます。
50歳の若さで逝くなんてそれだけに大変残念なことであります。まだ30年は生きて欲しかった。
そんな妻は生前親しくしていただいた方々の記憶の中に生き続けてくれると思います。
ここに故人への生前のご厚情に感謝しますとともに、病状等の報告をさせていただきました。
また、遠方からのたくさんの皆様にお見送りいただき、ありがとうございました。
空 春覚桜佳大姉