【田村秀男の日曜経済講座】円高は給与を減らす元凶 日銀はマイナス金利拡大をためらうな
【田村秀男の日曜経済講座】円高は給与を減らす元凶 日銀はマイナス金利拡大をためらうな
政府はこのほど平成28年度第2次補正予算案を決定し、積極財政へとかじを切った。消費税増税に伴う後遺症が薄らぎ始めた景気をさらに後押しするはずだが、油断は禁物だ。円高基調である。円高は給与を減らす元凶なのだ。
米オバマ政権は円高・ドル安について、機会があるたびに、市場実勢を反映していると強調する。「自由な変動相場制」という建前なのだが、外国為替市場は米国にとって有利な仕組みになっている。
米国は国際金融の胴元であり、外為市場への影響力は他を圧倒する。世界の基軸通貨ドルが尺度であるニューヨーク市場に世界の余剰資金を集中させられるからだ。
政治力も付随する。ワシントンは米国の産業界にとって不利なドル高水準になれば、「市場原理」を脇に押しやって、他の主要国に対ドル相場を上昇させるよう仕向ける。1985年9月のドル高是正のための国際協調「プラザ合意」が典型例である。
協調介入は87年2月のドル安定のための「ルーブル合意」の失敗後はほとんど試みられなくなったが、米政府高官はことあるごとに口先でドル安に誘導してきた。ドイツはその間、フランスなどとともに欧州共通通貨ユーロを立ち上げて、米国からの風圧を避けているが、日本の円はいまだに米国の政策や政治情勢に左右され、われわれの暮らしを支える賃金を左右する。
グラフは、プラザ合意以降の円・ドル相場と日米の製造業賃金指数の各年間平均値の推移である。驚かされるのは、賃金動向の違いだ。
米国は一貫して右肩上がりであるのに対し、日本は上がりかけたと思ったら、今度は下がり始める。プラザ合意後の急速な円高にもかかわらず、日本の賃金はしばらくの間は米国と同様のトレンドだったが、97年半ば以降は円相場動向に大きく左右されるようになった。97年4月には橋本龍太郎政権が消費税増税と緊縮財政に踏み切り、現在にまで尾を引く慢性デフレ局面を招いたが、デフレは円高と賃金減の産物ともいえる。
円相場と賃金の相関度(統計学でいう相関係数で、最大値は1)はアベノミクスが始まった2012年12月までの10年間でみると全産業が0・94である。円高はものづくりばかりでなく、全産業にデフレ圧力を浸透させている。
対照的に、米国の賃金動向はドルの対円相場はもちろん、貿易相手国通貨の加重平均相場とも無縁であり、相関関係はない。自由市場原理のお手本として評価される米国だが、賃金は下がっても一時的で、中長期的には一貫して上昇を続けている。
雇用情勢は米国の政策や政治を突き動かし、失業者が増え、賃金が下がれば政権も議会も支持を失う。ドル高になって産業競争力が低下して雇用に悪影響が出れば、自らドルを下げずに、日本などに通貨高圧力を加え、賃上げ基調の維持を図るわけである。
事実、現在の円高は日米間の金利差の縮小に加え、米国政治情勢、つまり今秋の大統領選がかなり後押ししている。民主党・クリントン、共和党・トランプの両候補ともドル高に伴う産業競争力低下を恐れ、円高・ドル安のトレンドを維持させたい。クリントン候補を支援するオバマ政権は日本が円売り市場介入をさせないようしきりに牽制(けんせい)している。トランプ候補も日本が介入すればライバルに負けず激しく非難するだろう。
米連邦準備制度理事会(FRB)による利上げのためらいにも政治の影がある。FRBは物価と並んで雇用にも責任を負う。大統領選と同時並行の総選挙に直面している議員たちは利上げには批判的だ。このまま、日本の為替や金融政策が大統領選に振り回されるような印象を市場に与えてしまうと、投機ファンドはますます円買い投機に興じるようになり、円高は加速しかねない。
日本政策投資銀行によれば、大多数の大企業の想定為替レートは1ドル=110円前後で、同100円水準を超える円高は企業を萎縮させる。実質賃金はことし初め以来、アベノミクス開始以降、初めて月連続で上昇し始めたが、息切れしかねない。給与に連動する個人消費の回復軌道も破壊される。
政府が急激な円高には円売り市場介入で対応するのは当然だが、効果は長続きしない。重要な鍵は日銀が握る。黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は産経新聞との単独インタビューで、マイナス金利をさらに引き下げの余地ありと発言した。マイナス金利拡大には日銀内部に慎重論も多いが、大型経済対策の成否にも関わる。黒田総裁は大局的に決断すべきだ。(編集委員)
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