大きなエビフライと納豆ご飯、具沢山の味噌汁。
シンプルだけど大好物(^-^)
粗食で恥ずかしいけどHIROは、大満足!
米メディアはどう伝えたか? 「心揺さぶられる瞬間」「日米の特別な関係を明示」
安倍首相(左)と握手するオバマ米大統領(27日午後6時13分、広島市中区の平和記念公園で)=代表撮影
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)はオバマ氏が平和記念公園での演説後に被爆者と抱擁しあったことを「心揺さぶられる瞬間」と表現。オバマ氏と安倍晋三首相が献花後に交わした握手は「日米の特別な同盟関係を明確に示すものだ」とした。一方で広島訪問には中国や韓国で懸念が出ていたことも伝えた。
米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は謝罪との受け止めを避けたいオバマ氏は被爆者と私的な場で会わず、公衆の場での短時間の会話に留めたと指摘。原爆資料館訪問も簡単なものだったとした。米紙ワシントン・ポスト(電子版)はオバマ氏の狙いは「核軍縮と不拡散に向けた米国の決意を改めて示すことだった」と分析した。
CNNテレビも27日朝から広島訪問をトップニュースとして放送。オバマ氏の演説や被爆者との会話の様子を伝えた。
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~無事に歴史的一日を終え、未来に向け歩み出した。~
オバマ大統領の広島訪問 所感の全文
5月28日 0時26分
アメリカのオバマ大統領は27日午後、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。被爆者の人たちを前に述べた所感の全文です。
71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。
なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。
犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。
戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。
どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。
それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。
広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。
しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。
世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。
私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。
物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。
国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。
科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。
私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。
広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。
私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。
彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。
被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。
そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。
迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。
とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。
だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。
私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。
ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。
私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。
起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。
このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。
私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。
そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。
アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。
しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。
どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。
愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。
私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。
亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。
国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。
ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。
広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。
(英文全文は関連リンクに掲載)
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一期一会
一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する[1]。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。
一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる[2]。
語源と精神[編集]
元は千利休の言葉とされる。利休は自著を残していないが、弟子の山上宗二は著書『山上宗二記』の中の「茶湯者覚悟十躰」に、利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏(かしこまる)ベシ」という一文を残している。「一期」はもと仏教語であり、人が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生を指す[2]。
利休の茶の様式であるわび茶においては、茶事の進行に火の強さと湯の煮え具合が相応し、自然な茶事の流れにより亭主と客の息遣いの調和が生まれることが重要視された[3]。古来利休の秘伝書とされてきた『南方録』は、近年では江戸時代の偽書であるとの説が有力だが、それでもなおこの書中には、
一座一會ノ心、只コノ火相・湯相ノミナリ
として「一座一会」の語のもと、関係する精神が継承されている。
さらに、江戸時代末期になって、大老・井伊直弼が茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」と表現したことにより、同じく茶道の重要な精神とされる「独座観念」とともに四字熟語の形で広まった[1]。『茶湯一会集』では下記のように述べられている[4]。
抑(そもそも)茶湯の交會(こうかい)は一期一會といひて、たとへば、幾度おなじ主客交會するとも、今日の會ににふたゝびかへらざる事を思へば、実に我(わが)一世一度の會(え)なり。さるにより、主人は萬事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきやう、深切(しんせつ)實意(じつい)を盡(つく)し、客にも此會に又逢ひがたき事を辨(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、實意を以て交るべきなり。是を一期一會といふ。
ただし、「一期一会」ならびに対となる「独座観念」は草稿段階で見られず、これに直弼の茶湯思想の変遷が現れているとする観点もある[5]。
出典[編集]
- ^ a b 「一期一会」『茶の湯用語集』 表千家不審菴、2005年、2015年1月3日閲覧
- ^ a b 『スーパー大辞林』三省堂、2013年
- ^ 竹鼻 圭子「観光と茶の湯に見られる非日常の洗練と成熟 : 希求される『もう一つの日常』」『観光学』和歌山大学、2009年、2巻、23-33頁、NAID 110007568990
- ^ 活字は奥田正造編『茶湯一会集』1936年、NDLJP:1185983に従い、ルビは適宜省略し、ルビのみ現代仮名遣いに改めた
- ^ 母利 美和「井伊直弼の著述活動と片桐宗猿 : 石州流相伝の師系をめぐって」『史窓』2005年、62巻、1-44頁、NAID 110004475962
5月17日南海トラフ地震発生」の「ネット予言」に注目集まる 社会心理学者が分析した「拡散」の理由とは
その発端となったのは、ある1人のユーザーがネット掲示板に寄せた「予言」にある。いったいなぜ、何の根拠も示されていないネット上の書き込みが、ここまで大きな注目を集めることになったのだろうか。今回、J-CASTニュースは、SNS上での人間の心理の動きに詳しい社会心理学者に話を聞いた。
「南海トラフ大地震に備えよ」「5月17日にまた来る」
ネット上で「17日に南海トラフ地震が発生する」と心配する声が出るようになったのは、「2062年から来た未来人」を自称するユーザーが、ネット掲示板2ちゃんねるの「オカルト板」に16年4月15日に書き込んだ内容がきっかけだ。
この「未来人」は、2010年にもオカルト板に現れており、その際に「次に書き込むのは2016年4月15日」と宣言していた。それから6年後、その言葉通り、同じ「トリップ」(2ちゃんねる上のIDのようなもの)を用いたユーザーが4月15日に再登場。
6年前に現れた「未来人」と同一人物を名乗るこのユーザーは、「南海トラフ大地震に備えよ」「5月17日にまた来る」などと、大震災の発生を示唆するような投稿を寄せていた。同日は熊本地震の「前震」が発生した翌日だったことから、それと関連付けて不安がる声も出ていた。
それから約1か月。茨城県を震源とする地震が5月16日夜に発生したことから、ツイッターやネット掲示板などでは、こうした書き込みが再注目され、
「5月17日に南海トラフくるっていう予言があるのを聞いていたけれど、今日の地震が前震だったりして......」
「未来人が予言したとかいう南海トラフの前震だったりする...?まさかね」
「今日、明日は怖くて寝れないかも。 未来人の予言とか本当に怖すぎる」
などと不安がる声が相次いだ。16日夜から17日未明にかけて、ツイッターの「トレンド」にも、「南海トラフ」「未来人」といった複数の関連ワードが登場するほどだった。
2016.5.19 21:53
両陛下、熊本の被災地をご慰問
天皇、皇后両陛下は19日、熊本地震で甚大な被害を受けた熊本県の益城(ましき)町、南阿蘇村を訪れ、被災者を慰められた。早期に被災地を見舞うことを望んでおり、発生1カ月余りで日帰りでの訪問を実現された。
震度7を2度観測した益城町では、約200人が避難生活を送る益城中央小学校の体育館をご訪問。孫娘(28)を失った河添ハル子さん(85)を、天皇陛下は「本当に残念なことでね」と気遣われた。
これに先立ち、南阿蘇村の避難所でも両陛下は「元気でいらして」などと励ましの言葉をかけられた。
熊本県南阿蘇村の避難所を訪れ、被災者に声を掛けられる天皇陛下=19日午後2時15分ごろ、南阿蘇中体育館(代表撮影)