- 2016/8/26 6:30
- 日本経済新聞 電子版
習近平指導体制下の中国では、不正に蓄財した資産と家族と共に、海外に逃げる腐敗官僚の摘発が相次いだ。だが今、一般の中国人の間でも、大金を払って永住権を取得し、国籍を変え、なんとしてでも海外へ移住しようと考える人が少なくない。新天地の生活を夢見て、年間数十万人もの中国人が海外に渡る。中国人移民の実像を追った。
「すべては子供の教育のためです。詰め込みを強要する時代錯誤の中国の学校教育には正直あきれている。絶対に子供を中国の学校に通わせたくなかった。創造性を重視する米国なら子供に良い教育環境を与えてあげられる。これは親の責任なんです」
そう話す広東省出身の男性、李正国さん(仮名、35)は、家族そろって米国に移住した。移民申請から2年半。ようやく2016年6月初めに念願がかなった。
現在は妻と子供2人の家族5人、50万ドル(約5000万円)で購入したカリフォルニア州のアパートで、のんびりと生活を楽しんでいる。同州には同じ広東人も多い。「広東語が使え、生活は何も不自由しない」という。
■人気の米国移住、費用の相場は6000万円
中国では移民をあっせんする仲介業者が、街中に堂々と看板を出して営業している(広東省深圳市で)
中国企業の通信会社に勤めていた李さん。中国にいた頃の年収は妻と合わせ100万元(約1500万円)だった。富裕層とはいえず、普通の家庭に見える。なぜ、米国の永住権を取得することが可能だったのか。移民の最新事情を説明してくれた。
まず中国の街中で、そのものズバリの「移民」の看板を掲げた仲介あっせん業者に登録するのが第一歩だ。そこで海外の投資プロジェクトを紹介してもらう。米国などには、一定以上の投資をして雇用を生むことを条件に移民を認める制度がある。
李さんの場合、米ホテル大手のマリオット・インターナショナルによる新しいホテル建設プロジェクトへの投資を選んだ。
約20億円の同プロジェクトのような小さな案件は、投資リスクがある割に年利が高くないため、米国人はあまり興味を示さない。そこで、李さんのような米国に移住したい「少しお金持ち」の中国人が登場する。
中国人の1家族当たりの投資金額は50万ドル(約5000万円)。あとは仲介業者への手数料や書類作成費用など約8万ドルを支払い、基本的な手続きは完了する。これに当面の現地での生活費を含めると、最も人気の高い米国への移民費用の相場は、おおよそ60万ドル(約6000万円)だ。
こうした「投資移民」は、特に技術を持たない一般の中国人が海外に移住する最も近道の手段となっている。ただし、投資案件が順調に進まなければ、移民できず、投資資金も戻らない。リスクはあるものの、李さんのように申請から2年半ほどで米国の永住権を取得することが可能だ。中国人には、そのスピードが売りで、大人気の“海外脱出法”の一つとなっている。
米国に端を発した08年のリーマン・ショック以降、米国に資金が集まりにくくなって、中国人による投資移民の申請が急増した。10年にわずか772人だった中国の投資移民は、現在は年間1万人近くとなり、米国が受け入れる投資移民全体の9割以上を中国人が占める。
李さんは十数年前からコツコツと株式と不動産投資を積み重ね、移民資金の約6000万円を捻出した。投資移民は富裕層に限った話ではない。
「もともと中国には、人をいたわる良い伝統があった。それが今は道徳心がすっかり失われた。詐欺も多く、金を使って人脈をつくらなければ、何もできない。中国人の私でも中国の暮らしは本当に疲れる。子供にはそんな思いはさせたくない」。李さんは、家族で移住を決めた理由を赤裸々に語った。
広東省でエンターテインメント系の米大手企業に勤める彭少強さん(42)も、家族そろって米国への「投資移民」を計画している。仲介業者に投資費用50万ドルを払って半年前に移民申請を済ませ、2年後に予定する永住権取得を待ち望む。
米大手企業に勤める彭少強さん(42)。「早く米国に住みたい」と申請許可が下りるのを家族で待ちわびている(広東省で)
息子2人のうち1歳の次男は、15年にカリフォルニアで生まれた。米国籍を取得するため、8万ドル(約800万円)の費用を支払って妻は米国に4カ月間滞在し出産した。
ところが、13歳の長男は中国籍だ。「中国の学校は試験勉強ばかり。子供は学校から強制されて機械的に動かされている感じで、自ら考えて行動できない」。そんな長男を見るうち、真剣に移民の道を考え始めたという。
「子供には自由な発想を育める楽しい生活を送ってほしい。中国にいても絶対にそうならない。子供に良い国籍を与えるのは親の役目だ」。彭さんも言い切る。
■理由は「子供の教育」「大気汚染から逃れたい」…
国連の統計によると、中国から海外への累計移民数は00年時点の549万人から、15年に初めて1000万人に達した。今も急増し続けている。中国大手調査会社「胡潤百富」が16年に公表したデータによると、中国人が移民する理由の第1位は「子供の教育」で、22%を占めた。「大気汚染から逃れたい」が20%、「食品の安全を求める」が18%と続く。子供を第一に考え、厳しい環境からいち早く逃れようとする中国人の心理が表れている。
中国内陸部の湖南省出身で、現在はロサンゼルスに住む自営業の男性の張さん(37)も「投資移民」で永住権を取得した一人。米国生活は3年目を迎えた。10年ごろ、中国では下水から油をくみ取って料理に使ったり、野菜や果物に成長促進剤を大量に投与したり、「食の安全」が大問題になっていた。「それが移民を決めた直接の理由だった」と振り返る。
「大切な子供をこんな国で育てられない」。張さんの妻は香港で娘を出産し、香港の永住権を取得した。現在はロサンゼルスで妻の両親らを含む家族6人で暮らす。
「こちらの生活には満足しているが、米国という国自体は、差別も感じるので正直あまり好きになれない。ただ子供のことを考えるとね。試験のために試験をやるような中国の教育は子供の好奇心と夢を破壊する」(張さん)
中国では幼児のころから、激しい競争を勝ち抜くために英語教育など受験戦争が始まる。さらに高校、大学、大学院にいたるまで毛沢東思想概論やマルクス主義などを必須授業に指定して、思想教育に多くの時間を割く。そんな教育のあり方に疑問を感じる親は少なくない。
北京市に住む女性の蒋さん(30)も、米国移住を心待ちにしている。インターネットサービス大手の百度(バイドゥ)に勤務し、夫は国家税務局のIT(情報技術)関連企業に勤めており、お金に不自由はない。移民申請を済ませて、2歳になる娘も米国で出産した。
蒋さんも「子供の教育環境を考えると、やはり米国が一番。中国の学校教育では、押しつけが多く、考え方が凝り固まってしまうから……」と打ち明ける。祖国に別れを告げ、家族と共に海外へ移り住み、国籍も生き方も変える。そんな人生を望む中国人が今なお増え続ける。それが中国の現実だ。