市川海老蔵さん会見
旅立つ間際「愛してる」
妻の小林麻央さんが死去したことを受け、記者会見する市川海老蔵さん=2017年6月23日、東京都渋谷区【時事通信社】
歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)が23日、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなったことを受け、東京都内で記者会見を行った。会見での主な発言は以下の通り。
「昨日夜に妻麻央が、旅立ちました。家族の時間や、家族でしなくてはならないこと、家族で話すべきこと、子どもたちとのこと、そういった中で、思った以上に皆さまに伝わるのが早かったということで、多くの方にご迷惑の掛からないように、そしてまた、ブログや、アナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました」
―どなたがみとられて、どんな言葉を交わされましたか。
「私は昨日も舞台で、それまで(麻央さんの姉の)麻耶さんと麻央のお母さんがずっと看病してました。私は舞台が終わった後に別の撮影があり、その後にまた別の稽古がございました。その時に、お母さまからLINEが来てたんですけども、見ることができませんでした。約1時間半ほど遅れて見た内容が、具合が悪い、お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいい、というような内容で、急いで家に帰ったわけです」
「(帰宅すると)まだ麻央はこの世にいてくれて。呼吸が苦しそうだったので、私がちょうど妻の前に座って。一昨日まではしゃべれたんですけど、昨日はずっとしゃべれずに。息を引き取る瞬間、私は見てました。その時、これは本当に不思議なんですけど、『愛してる』と言って、彼女がその一言を言って、本当にそれで、そのまま、旅立ちました」
―「愛してる」という言葉は麻央さんはちゃんと受け止めたように見えましたか。
「いや、僕が言ったわけではなくて、彼女が旅立つ間際に『愛してる』、『る』が聞こえたか聞こえないかちょっと分かんなかったですけど。『愛してる』と言って旅立ったのが、まあ何と言うんでしょうか、愛されていたのはよく分かってたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに、何とも言えませんね」
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「どんな部分も、どこまでも愛してくれた」
フリーアナウンサーの小林麻央さん=2014年撮影【時事通信社】
―ご自宅で送ることができました。
「それはとてもよかったと思います。お母さまもお父さまも、私も麻耶さんも、子どもたちもずっとそばにいられたので、すごくよかったなと。私は、父は病院で亡くしているので。病院の時とは違う、家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」
―お子様も含めてご家族で送られたのですか。
「そうですね。子どもたちも見てました」
―麻央さんはつらい中でも、勇気、愛情、笑顔を忘れずに闘ってこられたと思いますが。
「おっしゃる通り、笑顔と勇気と愛情を、そして決してぶれない自分、そしてどんな状況でも相手のことを思いやる気持ち、愛ですよね、そういった力が、最後までぶれず、一昨日まで笑顔で。昨日はやっぱりちょっと調子が悪かったので、われわれ家族も急にそういうふうになってしまったので、戸惑った部分はすごく大きかったです」
―麻央さんにはどのような言葉を送られましたか。
「もう、この世にあるありとあらゆる言葉を耳元で話してました」
―麻央さんはどんな存在でしたか。
「とにかく、私を、どんな部分もどこまでも愛してくれていたんだな。できればずっと一緒にいて、私の方が先にいって、彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達や、麻耶さんやお母さんやお父さん。そして、私が役者として成長していく過程をずっと見守ってもらいたかった存在です」
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悲しみや喜びを分かち合う「すごい人」
妻の小林麻央さんが死去したことを受け、記者会見する市川海老蔵さん=2017年6月23日、東京都渋谷区【時事通信社】
―麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は。
「麗禾は昨日はずっと麻央のそばを離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って寝てました。認識はしてると思いますね。勸玄はまだ、分かっているんですけれど、分かっていないところもあって、きょうの朝も麻央の横になっている所に、2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり、手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと、痛感しました」
―奥さまから学んだどういったことを伝えていかれますか。
「元気になったら、彼女は自分が歩んできた過程、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらばこうしたいああしたい、多くの人の救いとなるような存在になりたいということで、一生懸命闘病してました。それでブログも始めたんです。マスコミさんのおかげである意味、公になって、本当にありがたかったと思います。それでブログを始めて、同じ病の人たちや苦しんでいる方々と悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると、人ではないというか、何というんですかね、すごい人だなというか、何か言い方がおかしいですけど。でもとにかく教わったこと、そしてまた今後も教わり続けることは、愛なんだと思いますね」
―苦しい闘病生活だったと思いますが、麻央さんのどういう表情が一番浮かびますか。
「全部ですね。初めて会った時の彼女からきょうの朝まで全部。全部ですね」
―これまで麻央さんとお話しされて、子どもさんへの言葉も含めて印象に残っているのは。
「子ども? 心残りだと思います、2人のことについて。どうすればいいんだろうって、考えても答えが出なかったものだと思います。ですから、まあいろんなこともあり、今回も子どもたちが出演したり、7月もせがれが出るんですけど、そういうのを見に来ることを一つの目標としていろんなものをつくったんですけど。でも、きっと見てると思うんでね、そういう意味で。心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか」
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「ずっと皆さまのそばに」
妻の小林麻央さんが死去したことを受け、記者会見する市川海老蔵さん=2017年6月23日、東京都渋谷区【時事通信社】
―託されたことはありますか。
「多過ぎて言葉に出せないですよね。今舞台をやってたわけで、これからも舞台はありますし、来月もすぐありますし、子どもの稽古もありますし、麗禾の成長のことも考えますし。まだ5歳と4歳ですから。これからお母さんという存在が彼女や彼には非常に重要なわけで、それを失った。僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていくように思っています」
―麻央さんがよく言っていた言葉で、今思い出されるのは。
「言葉というか、お姉さんが調子悪くなった時も、私が舞台で非常に疲れた時も、彼女自身はもっと重い病にかかっている、そしてお母さまが看病に疲れている時も、麻央の方がもちろん大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ、こういう言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち、これはね、一番多かったですね」
―プロポーズの時に「来世も、再来世も一緒にいよう」とおっしゃいました。
「そうですね。そのつもりです。その話もしました。僕が愛想つかされないように頑張んないと」
―改めて麻央さんに言いたいことは。
「まだ昨日のきょうなんで、こういうところも聞いてると思うんで、全部聞いてると思うんで、言うことは、言わなくても伝わると思うんで。いつも思っているよね、ということですね」
―麻央さんのブログや存在で励まされた方へは。
「麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこういうような(会見の)形もある意味、取らせていただきました。実際そういうことがなければ、このようなことをご報告すること自体が、形としてはどうかと思います。ですが、そういう多くの、麻央のことを応援してくださった方、そして共に闘っている方々、昨日、先に旅立ちましたけれども、ずっと麻央はきっと皆さまのそばにもいると思います。本当にいろいろありがとうございました」
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